〔『正法眼蔵』原文〕
いはゆる雲巌道の「大悲菩薩用許手多眼」は、
許多アマタの道、たゞ八万四千手眼のみにあらず、
いはんや十二および三十二三の数般スハンのみならんや。
許多はいくそばくといふなり。
如許多の道なり、種般かぎらず。
種般すでにかぎらずは、無辺際量にもかぎるべからざるなり。
用許多のかず、その宗旨かくのごとく参学すべし。
すでに無量無辺の辺量を超越せるなり。
いま雲巌道の許多手眼の道を拈来するに、
道吾さらに道不著といはず、宗旨あるべし。
〔『正法眼蔵』私訳〕
雲巌が言う「大悲菩薩用許多手眼」(大悲菩薩は無量の手眼を用いる)の許多の言葉は、
単に八万四千の手や眼だけではない、まして十二面や三十二相(仏が具えている32種類の身体的特徴)、三十三身(相手に応じて変身する33種類の姿)の数だけではない。
「許多」とは数多くという意味である。数が多く種類を限らないのである。
種類を限らないから、無限という量にも限らないのである。
「用許多手眼」の数のそのおおもとの意味をこのように参学すべきである。
すでに無量無辺の領域を超越しているのである。
今雲巌が言う「用許多手眼作麼」の言葉を取り上げて、
道吾が決して「道イい足りない」と言わないのには、深い意味があるのである。
大悲菩薩は無量の手や眼を用いる『第十八観音』18-2-2b(聞書抄)
合掌
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