〔『正法眼蔵』原文〕 福州玄沙宗一 ゲンシャシュウイチ 大師、法名師備、福州閩県人也 ミンケンノヒトナリ 。 姓謝氏 セイハシャナリ 。 幼年より垂釣 シチョウ をこのむ。 小艇 ショウテイ を南台江にうかめて、もろもろの漁者になれきたる。 唐の咸通のはじめ、年甫 ネンポ 三十なり。 たちまちに出塵をねがふ。 すなはち釣舟をすてて、芙蓉山霊訓 レイクン 禅師に投じて落髪す。 豫章 ヨショウ 開元寺道玄律師に具足戒をうく。 布衲芒履、食纔接気、常終日宴坐。衆皆異之。 与雪峰義存、本法門昆仲、 而親近若師資。雪峰以其苦行、呼爲頭陀。 《布衲芒履 フノウモウリ なり、食 ジキ は纔 ワづ かに気を接す、常に終日宴坐す。 衆皆之を異なりとす、雪峰義存と、本 モト 法門の昆仲なり、而して親近 シンゴン すること 師資の若 ゴト し。雪峰其の苦行を以て、呼んで頭陀 ズダ と為す。》 一日雪峰問曰、「阿那箇是備頭陀」。 《一日、雪峰問ふて曰く、「阿那箇 アナコ か是れ備頭陀 ビズダ 」》 師対曰、「終不敢誑於人」。 《師対へて曰く、「終に敢て人を誑 タブラ かさず」》 〔『正法眼蔵』私訳〕 福州の玄沙宗一大師は、法名を師備と言い、福州閩県の人である。 (福州玄沙宗一大師、法名師備、福州閩県人也。) 俗姓は謝である。幼い頃から釣りを好んだ。 小舟を南台江に浮かべて、多くの漁夫に慣れ親しんで来た。 (姓謝氏。幼年より垂釣をこのむ。小艇を南台江にうかめて、もろもろの漁者になれきたる。) 唐の咸通五年、三十歳になって、にわかに出家を願った。 (唐の咸通のはじめ、年甫三十なり。たちまちに出塵をねがふ。) すぐに釣舟を捨て、芙蓉山の霊訓禅師に投じて髪を落とした。 (すなはち釣舟をすてて、芙蓉山霊訓禅師に投じて落髪す。) 予章開元寺の道玄律師について出家の具足戒を受けた。 (豫章開元寺道玄律師に具足戒をうく。) 粗末な木綿の衣を身に着けわら草履を履き、 食はやっと命を保つほどであり、 いつも終日坐禅した。 (布衲芒履なり、食は纔かに気を接す、常に終日宴坐す。) 修行僧たちはみな玄沙を稀に見る求道者と認めていた。 (衆皆之を異なりとす。) 雪峰義存とは、もと霊訓に参じた法兄弟であり、 その親しみ方は師弟のようであった。 (雪峰義存と、本法門の昆中なり...