〔『正法眼蔵』原文〕 翌日に上堂して、衆にしめしていはく、 楊岐乍住屋壁疎、 楊岐乍 ハジ めて住す屋壁疎 オロソ かなり、 満床尽撒雪珍珠。 満床に尽く雪の珍珠を撒らす。 縮却頂、暗嗟嘘、 項 クビ を縮却 ツヅメ て、暗に嗟嘘 サキョ す、 翻憶古人樹下居。 翻って憶ふ、古人樹下に居 コ せしことを。 つひにゆるさず。 しかあれども、四海五湖の雲衲霞袂 ウンノウカベイ 、この会に掛錫 カシャク するをねがふところとせり。耽道 タンドウ の人おほきことをよろこぶべし。この道 ドウ 、こゝろにそむべし。この語、みに銘ずべし。 演和尚、あるときしめしていはく、「行無越思 ギョウムオッシ 、思無越行 シムオツギョウ 《行 ギョウ は思 シ を越ゆることなく、思は行を越ゆることなし》 」。 この語おもくすべし。日夜思之 ニチヤシシ 、朝夕行之 チョウセキギョウシ 《日夜に之を思い、朝夕に之を行ふべし》 。いたづらに東西南北の風にふかるゝがごとくなるべからず。 いはんやこの日本国は、王臣 オウシン の宮殿なほその豊屋あらず、わづかにおろそかなる白屋 ハクオク なり。出家学道の、いかでか豊屋に幽棲 ユウセイ するあらん。 もし豊屋をえたる、邪命 ジャミョウ にあらざるなし、清浄なるまれなり。もとよりあらんは論にあらず、はじめてさらに経営することなかれ。 草庵白屋は古聖 コショウ の所住なり、古聖の所愛なり。晩学したひ参学すべし、たがふることなかれ。黄帝 コウテイ ・堯 ギョウ ・舜 シュン 等は、俗なりといへども草屋に居 コ す、世界の勝躅 ショウチョク なり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 翌日法堂に上って、僧たちに示して言った、 (翌日に上堂して、衆にしめしていはく、) 楊岐山にはじめて住持したとき屋根も壁も粗末であり、 床一面に雪の粒が舞い散っていた。 (楊岐乍めて住す屋壁疎かなり、満牀に尽く雪の珍珠を撒らす。) 首を縮めて、そっとため息をついた。 翻って想う、昔の人が大木の下で修行...
〔『正法眼蔵』原文〕 五祖山の法演禅師いはく、師翁 シオウ はじめて楊岐 ヨウギ に住せしとき、 老屋敗椽 ハイテン して風雨之弊 フウウノヘイ はなはだし。 ときに冬暮なり、殿堂ことごとく旧損 クソン せり。 そのなかに僧堂ことにやぶれ、雪霰満床 セッサンマンショウ 、居不遑処 キョフコウショ 《雪霰床に満ちて、居、処 オ るに遑 イトマ あらず》 なり。 雪頂 セッチョウ の耆宿 ギシュク なほ澡雪 ソウセツ し、 厖眉 モウビ の尊年、皺眉 シュウビ のうれへあるがごとし。 衆僧やすく坐禅することなし。 衲子 ノッス 、投誠 トウジョウ して修造せんことを請ぜしに、師翁却之 コレヲシリゾケテ いはく、 「我仏有言、時当減劫、高岸深谷、遷変不常。安得円満如意、自求称足 《我仏 ガブツ 、言へること有り、時、減劫 ゲンゴウ に当たって、高岸深谷、遷変して常ならず。安 イズ くんぞ円満如意にして、自ら称足 ショウソク なるを求むることを得ん》 ならん。 古往 コオウ の聖人 ショウニン 、おほく樹下露地に経行 キンヒン す。 古来の勝躅 ショウチョク なり、履空 リクウ の玄風なり。 なんだち出家学道する、做手脚 サシュキャク なほいまだおだやかならず。 わづかにこれ四五十歳なり、たれかいたづらなるいとまありて、 豊屋 ホウオク をこととせん」。 ついに不従 フジュウ なり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 五祖山の法演禅師は言った、 わが師匠 (白雲守端) の師匠にあたる楊岐方会禅師が初めて楊岐山に住持した時、古い建物はたる木がこわれていて、風雨の弊害がひどかった。 (五祖山の法演禅師いはく、師翁はじめて楊岐に住せしとき、 老屋敗椽して風雨の弊はなはだし。) 時は冬の終わりのころであったが、 建物はどれも古くなって破損していた。 (ときに冬暮なり、殿堂ことごとく旧損せり。) 中でも僧堂は殊に破損しており、雪や霰が床一杯になり、 坐る場所を見つけることもできないほどであった。 (そのなかに、僧堂ことにやぶれ、雪霰牀に満ちて、居、処に遑あらずなり。) その中で白髪の...