〔『正法眼蔵』原文〕 山僧今日、向諸人面前説家門、已是不著便、豈可更去陞堂入室、拈槌竪払、 東喝西棒、張眉努目、如癇病発相似。不唯屈沈上座、況亦辜負先聖。 《山僧 サンゾウ 今日、諸人の面前に向かって家門を説く、已に是れ便 タヨリ を著 エ ず、豈に更に去 サッ て陞堂 シンドウ し入室 ニュウシツ し、拈槌竪払 ネンツイジュホツ し、東喝西棒 トウカツセイボウ し、張眉努目 チョウビドモク 、癇病の発するが如くに相似 ソウジ るたる可し、唯上座を屈沈 クッチン するのみにあらず、況 マスマ す亦先聖 センショウ を辜負 コブ せんをや。》 你不見、達磨西来、到少室山下、面壁九年、二祖至立雪断臂、可謂受艱辛、 然而達磨不曾措了一詞、二祖不曽問著一句、還喚達磨。作不為人得麼、 喚二祖做不求師得麼、山僧毎至説著古聖做処、便覚無地容身、慚愧後人軟弱。 《你見ずや、達磨西来して、少室山の下 フモト に到り、面壁九年す、二祖立雪断臂 リュウセツダンピ に至りて、謂 イイ つ可し、艱辛を受くと、然而 シカリシコ うして達磨曾て一詞 ジ を措了 ソリョウ せず、二祖曾て一句を問著せず、還って達磨を喚んで人の為にせずと作 ナ し得てんや、二祖を喚んで師を求めずと做 ナ し得てんや、山僧古聖 サンゾウコショウ の做処 サショ を説著 セツジャク するに至る毎に、便ち身を容るるに地無しと覚ゆ、慚愧 ザンキ す後人 コウジン の軟弱なることを。》 又況百味珍羞、逓相供養、道我四事具足、方可発心、只恐做手脚不迭、 便是隔生隔世去、也時光似箭、深為可惜。 《又況 サラ に百味珍羞 ヒャクミチンシュウ 、逓 タガイ に相供養し、道 イ ふ、我れは四事具足して、方 マサ に発心すべしと。只恐らくは做手脚 ソシュキャク 不迭 フテツ にして、便ち是れ隔生隔世 カクショウカクセ せん。 時光箭 ヤ に似たり、深く可惜 コシツ たり。》 雖然如是、更在他人従長相度、山僧也強教你不得。 《然も是の如くなりと雖も、更に他人の従長して相度する在らん。 山僧也 マタ 強ひて你に教ふること不得なり》。 〔聞書私訳〕 /「道ふ、我れは四事具足して、方に発心すべし」とは、道は衣食住などが十分備わってから行われるというのは、私の手脚は〔仏弟子ほど〕速くないと〔いって...
又況活計具足、風景不疎、華解笑、鳥解啼、木馬長鳴、石牛善走、天外之青山寡色、耳畔之鳴泉無声、嶺上猿啼、露湿中霄之月。林間鶴唳、風回清暁之松、春風起時枯木龍吟、秋葉凋而寒林花散、玉階鋪苔蘚之紋、人面帯煙霞之色。音塵寂爾、消息宛然。一味蕭条、無可趣向。 《又況や活計具足し、風景疎ならず、華は笑 ワラ うことを解し、鳥は啼くことを解す、木 馬長 トコシナ へに鳴き、石牛善く走る、天外 テンガイ の青山 セイザン 寡 色 イロスクナ く、耳畔 ニハン の鳴泉 メイセン 声無し、嶺上 レイジョウ 猿啼 ナイ いて露中霄 チュウショウ の月を湿 ウルオ し、林間鶴唳 ツルナ いて風清暁 カゼセイギョウ の松を回 メグ る、春風起れば時 ココニ 枯木龍吟 コボクリュウギン し、秋葉凋 シボ めば而 スナワチ 寒 林花散ず、玉階苔蘚 ギョクカイタイセン の紋を鋪 シ き、人面煙霞 ニンメンエンカ の色を帯 オ ぶ、音塵寂爾 オン ジンジャクニ として、消息宛然 エンネン たり、一味蕭条 ショウジョウ として、趣向すべき無し。》 〔聞書私訳〕 /「華は笑くことを解し、鳥啼くことを解す。木馬長く鳴き、石牛善く走る。天外の青山色寡く、耳畔の鳴泉声無し」などというのは、これはみな悟道の上の言葉である。 花が笑み、鳥が啼くのは世の常のことであるが、木馬がどうして長く鳴き、石牛がどうして走るのかなどと思ってはいけない。 花が笑み、鳥が鳴き、木馬が鳴くのも同じように理解すべきである。 すでに「天外の青山」という。陰陽の外 (悟道の上) のことである。。 〔『正法眼蔵』私訳〕 また、いわんや修行生活は十分に整っており、風景も細やかに備わっている、 (又況んや活計具足し、風景疎ならず、) 花は咲くことを知っており、鳥は啼くことを知っている、木馬は大いに嘶 イナナ き、石牛はよく走る、 (華は笑くことを解し、鳥啼くことを解す、木馬長く鳴き、石牛善く走る、) 天井の青山はうすく霞んで見え、音を立てて流れる泉は耳に心地よい。 (天外の青山色寡く、耳畔の鳴泉声無し、) 山上で猿が啼き、露は真夜中の月を濡らす。 (嶺上猿啼て、露中霄の月を濕し、) 林間に鶴が鳴き、風は明け方の松をめぐる。 (林間鶴唳て、風清暁の松を回る、) 春風が...