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金銀や珠玉を見るのは腐った土のように見なければならない『第十六行持下』16下-18-7

  〔『正法眼蔵』原文〕  浙東 セットウ 浙西 セッセイ の道俗、おほく讃歎す。 このこと平侍者 ヘイジシャ が日録 ニチロク にあり。  平侍者いはく、「這 シャ 老和尚不可得人、那裏容易得見 〈 這 コ の老和尚は得べからざる人、那裏 ナリ にか容易 ヨウイ に見ることを得ん〉 、 たれか諸方にうけざる人 ヒト あらん、一万鋌の銀子」。  ふるき人のいはく、「金銀珠玉、これをみんこと糞土のごとくみるべし」。 たとひ金銀のごとくみるとも、不受ならんは衲子の風なり。 先師にこの事あり、余人にこのことなし。  先師の会 エ に、西蜀 セイショク の綿州人 メンシュウジン にて、 道昇 ドウショウ とてありしは道家流 ドカリュウ なり。 徒儻 トトウ 五人ともにちかうていはく、 「われら一生に仏祖の大道を弁取すべし、 さらに郷土にかへるべからず」。 先師ことに随喜して、経行 キョウギョウ 道業 ドウゴウ ともに衆僧 シュゾウ と一如ならしむ、 その排列のときは、比丘尼のしもに排立 ハイリュウ す、奇代 キタイ の勝躅 ショウチョク なり。  又福州の僧、その名善如、ちかひていはく、「善如平生 ヘイゼイ さらに一歩をみなみにむかひてうつすべからず、もはら仏祖の大道を参ずへし」。  先師の会に、かくのごとくのたぐひ、あまたあり。まのあたり、みしところなり、余師のところになしといへども、大宋国の僧宗 ソウシュウ の行持なり。  われらにこの心操なし、かなしむべし。仏法にあふときなほしかあり、 仏法にあはざらんときの身心 シンジン 、はぢてもあまりあり。 〔『正法眼蔵』私訳〕                                                浙江の東西の僧や俗人たちは多く讃嘆した。 (浙東浙西の道俗、おほく讃歎す。) このことは、侍者の平和尚の日記に記されている。 (このこと、平侍者が日録にあり。)   平侍者は言う、「この老和尚は得難い方である。 どこでもこのような方に容易にお目にかかることはできない。 一万本の銀を、この世間で 誰が 受け取らない人があろうか。」。 (平侍者いはく、「這の老和尚は、不可得人なり。那裏にか容易く見ることを得ん 。 たれか諸方にうけざる人あらん、一万鋌の銀子。」 〔次から道元禅師のお言葉〕...
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この銀子はいただけません、僧家はこのようなものを必要としませんから『第十六行持下』16下-18-6

〔『正法眼蔵』原文〕  趙提挙 チョウテイキョ は嘉定聖主 カテイセイシュ の胤孫 インソン なり。 知明州軍 チミンシュウグン 、州事管内勧農使 シュウジカンナイカンノウシ なり。 先師を請 ショウ して州府につき陞座 シンザ せしむるに、 銀子一万鋋 ギンスイチマンテイ を布施す。 先師陞座了 シンザリョウ に、提挙にむかふて謝していはく、 「某甲依例出山陞座、開演正法眼蔵涅槃妙心、謹以薦福先公冥府、 但是銀子不敢拝領、僧家不要這般物子、千万賜恩、依旧拝還 イキュウハイカン 」。 〈某甲 ソレガシ 例に依つて出山陞座 シュッサンシンゾ し、正法眼蔵涅槃妙心を開演して、 謹 ツツシミ て以て福を先公の冥府 メイフ に薦福 セン す、但 タダ 是の銀子は敢 アエ て拝領せず、 僧家 ソウケ は這般 シャハン の物子 モッス を要せず、千万賜恩 センマンシオン 、旧 フルキ に依つて拝還す〉 」。 提挙いはく、「和尚、下官忝以皇帝陛下親族、到処且貴、宝貝見多、 今以先父冥福之日、欲資冥府、和尚如何不納、今日多幸、大慈大悲、卒留小襯」。 〈和尚、下官 ゲカン 忝 カタジケナ く皇帝陛下の親族なるを以て、到る処貴 トオトシ し、宝貝 ホウバイ 見ること多し、今先父の冥福の日を以て、冥府を資せんと欲す。和尚如何 イカン が不納なる、今日多幸、大慈大悲 ダイズダイヒ 、卒 スミヤカ に少襯 ショウシン を留 トドメ よ。〉 先師曰、「提挙台命且厳、不敢遜謝、只有道理、 某甲 ボウコウ 陞座説法、 提挙聡聴得否 ソウチョウトクヒ 」。 〈先師曰く、提挙台命 タイメイ 且厳 ゲン なり、敢 アエテ て遜謝 ソンシャ せず、只 スナワチ 道理有り、 某甲 ソレガシ 陞座 シンザ 説法、提挙聡 ソウ なり聴得するや否や。〉 提挙曰 、 「下官只聴歓喜」〈 提挙曰く、下官 ゲカン 只 スナワチ 聴 チョウ を歓喜 カンギ す。〉 〔『正法眼蔵』私訳〕   趙提挙は、嘉定皇帝 (寧宗) の子孫である。明州軍 (県) の知事で、 明州の農事を司る長官を兼務していた。 (趙提挙は、嘉定聖主の胤孫なり。知明州軍、州事管内勧農使なり、) 先師を招き州庁で説法を頼んだので、銀一万本を布施した。 (先師を請して州府につきて陞座せしむるに、銀子一万鋋を布施す。...

常に袖の中に坐蒲を携え、あるいは岩の下でも坐禅した『第十六行持下』16下-18-5

 『 〔『正法眼蔵』原文〕  先師よのつねに普説 フセツ す、われ十九載よりこのかた、 あまねく諸方の叢林をふるに、為人師 イニンノシ なし。 十九載よりこのかた、一日一夜も不礙蒲団 フゲフトン の日夜あらず。 某甲 ソレガシ 未住院よりこのかた、郷人 キョウニン とものがたりせず。 光陰をしきによりてなり。 掛錫 カシャク の所在にあり、庵裏 アンリ 寮舍 リョウシャ 、すべていりてみることなし、 いはんや游山翫水 ユサンガンスイ に功夫をつひやさんや。 雲堂公界 ウンドウクガイ の坐禅のほか、あるいは閣上、あるいは屏処 ヘイショ をもとめて、 独子 ドクス ゆきて穩便 オンビン のところに坐禅す、 つねに袖裏 シュウリ に蒲団 フトン をたづさへて、あるいは岩下にも坐禅す、 つねにおもひき金剛座を坐破せんとこれもとむる所期 ショゴ なり。 臀肉 トンニク の爛壞 ランエ するときどきもありき、このときいよいよ坐禅をこのむ。 某甲今年六十五載、老骨頭懶 ズライ 、不会 フエ 坐禅なれども、十方兄弟 ジッポウヒンデイ をあはれむによりて、住持山門、暁諭方来 ギョウユホウライ 、為衆伝道 イシュデンドウ なり。 諸方長老、那裏有什麼 ナリウシモ 仏法なるゆゑに。 かくのごとく上堂し、 かくのごとく普説するなり。  又諸方の雲水の人事 ニンジ の産をうけず。 〔『正法眼蔵』私訳〕 先師は説法の時いつも言った、 (先師よのつねに普説す、) 「わたしは十九歳のときから今までに、遍く諸方の叢林 (坐禅修行道場) を巡って師を求めてきたが、人の為に法を説けるような師家がいなかった。 (われ十九載よりこのかた、あまねく諸方の叢林をふるに、為人師なし。) 十九歳のとき以来、一日一夜たりとも坐蒲を尻にあてて坐禅しない日夜はなかった。 (十九載よりこのかた、一日一夜も不礙蒲団の日夜あらず。) わたしは住職になる前 (修行中) からずっと、同郷の者と話しをしたことがない。修行の時間が惜しいからである。 (某甲未住院よりこのかた、郷人とものがたりせず。光陰をしきによりてなり。) 安居した僧堂にだけいて、他の草庵や寮舎には一切入って見たことがない。 (掛錫の所在にあり、庵裏寮舍すべていりてみることなし。) まして山水の景色を訪ねて歩くなどして修行の時間...