趙州 ジョウシュウ 観音院真際 シンサイ 大師従諗 ジュウシン 和尚、 とし六十一歳なりしに、はじめて発心求道 ホッシン グドウ をこころざす。 瓶錫 ビョウシャク をたづさへて行脚 アンギャ し、遍歴諸方するに、 つねにみづからいはく、 「七歳童子、若勝我者、我即問伊。百歳老翁、不及我者、我即教他 《七歳の童子なりとも、若し我よりも勝れば、我 ワレ 即ち伊 カレ に問うべし。 百歳の老翁なりとも、我に及ばざれば、我即ち他 カレ を教ふべし》 」。 かくのごとくして南泉の道を学得する功夫 クフウ 、すなはち二十年なり。 年至 ネンシ 八十のとき、はじめて趙州城東観音院に住して、 人天 ニンデン を化導 ケドウ すること四十年来なり。 いまだかつて一封の書をもて檀那 ダンナ につけず。 僧堂おほきならず、前架なし、後架 コウカ なし。 あるとき牀脚 ジョウキャク をれき。 一隻 イッセキ の焼断 ショウダン の燼木 ジンボク を、縄をもてこれをゆひつけて、 年月を経歴 キョウリャク し修行するに、知事、この床脚をかへんと請 ショウ ずるに、 趙州ゆるさず。 古仏の家風、きくべし。 趙州の趙州に住することは八旬よりのちなり、伝法よりこのかたなり。 正法正伝 ショウボウ ショウデン せり。 諸人これを古仏といふ。 いまだ正法正伝せざらん余人 ヨニン は師よりもかろかるべし。 いまだ八旬にいたらざらん余人は師よりも強健 ゴウコン なるべし。 壮年にして軽爾 キョウニ ならんわれら、なんぞ老年の崇重 ソウヂュウ なると ひとしからん、はげみて弁道行持すべきなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 趙州観音院の真際大師従諗和尚は、六十一歳のときに 始めて菩提心を発 オ こし菩提道を求めることを志した。 (趙州観音院真際大師従諗和尚、とし六十一歳なりしに、はじめて発心求道をこころざす。) 浄瓶 ジョウビョウ(水を入れる器) と錫杖 シャクジョウ(行脚に使う杖) を携えて行脚 (諸国を巡り歩いて修行する) し、諸方を遍歴するときに、...
〔『正法眼蔵』原文〕 鏡清 キンシン 和尚住院のとき、土地神 ドヂジン かつて師顔 シガン をみることえず、 たよりをえざるによりてなり。 三平山 サンペイザン 義忠 ギチュウ 禅師、そのかみ天厨 テンチュウ 送食 ソウジキ す。 大顚 ダイテン をみてのちに、天神 テンジン また師をもとむるに、みることあたはず。 〔『正法眼蔵』私訳〕 鏡清和尚が禅院の住持であったとき、土地神 (寺院を守護する神) は一度も和尚の顔を見ることが出来なかった。 和尚に近づく手がかりを得ることができなかったからである。 (鏡清和尚住院のとき、土地神かつて師顔をみることえず。たよりをえざるによりてなり。) 三平山の義忠禅師は、その昔天人から食物を送られていた。 しかし、師の大顚宝通和尚に参じて道を得てからは、天人が再び禅師を探しても、見ることは出来なかった。 (三平山義忠禅師、そのかみ天厨送食す。 大顚をみてのちに、天神また師をもとむるに、みることあたはず。) 道を得てからは天人が禅師を探しても見ることは出来なかった『正法眼蔵第十六行持』16-10b 合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。 ↓ ↓ にほんブログ村