〔『正法眼蔵』原文〕 五祖山の法演禅師いはく、師翁 シオウ はじめて楊岐 ヨウギ に住せしとき、 老屋敗椽 ハイテン して風雨之弊 フウウノヘイ はなはだし。 ときに冬暮なり、殿堂ことごとく旧損 クソン せり。 そのなかに僧堂ことにやぶれ、雪霰満床 セッサンマンショウ 、居不遑処 キョフコウショ 《雪霰床に満ちて、居、処 オ るに遑 イトマ あらず》 なり。 雪頂 セッチョウ の耆宿 ギシュク なほ澡雪 ソウセツ し、 厖眉 モウビ の尊年、皺眉 シュウビ のうれへあるがごとし。 衆僧やすく坐禅することなし。 衲子 ノッス 、投誠 トウジョウ して修造せんことを請ぜしに、師翁却之 コレヲシリゾケテ いはく、 「我仏有言、時当減劫、高岸深谷、遷変不常。安得円満如意、自求称足 《我仏 ガブツ 、言へること有り、時、減劫 ゲンゴウ に当たって、高岸深谷、遷変して常ならず。安 イズ くんぞ円満如意にして、自ら称足 ショウソク なるを求むることを得ん》 ならん。 古往 コオウ の聖人 ショウニン 、おほく樹下露地に経行 キンヒン す。 古来の勝躅 ショウチョク なり、履空 リクウ の玄風なり。 なんだち出家学道する、做手脚 サシュキャク なほいまだおだやかならず。 わづかにこれ四五十歳なり、たれかいたづらなるいとまありて、 豊屋 ホウオク をこととせん」。 ついに不従 フジュウ なり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 五祖山の法演禅師は言った、 わが師匠 (白雲守端) の師匠にあたる楊岐方会禅師が初めて楊岐山に住持した時、古い建物はたる木がこわれていて、風雨の弊害がひどかった。 (五祖山の法演禅師いはく、師翁はじめて楊岐に住せしとき、 老屋敗椽して風雨の弊はなはだし。) 時は冬の終わりのころであったが、 建物はどれも古くなって破損していた。 (ときに冬暮なり、殿堂ことごとく旧損せり。) 中でも僧堂は殊に破損しており、雪や霰が床一杯になり、 坐る場所を見つけることもできないほどであった。 (そのなかに、僧堂ことにやぶれ、雪霰牀に満ちて、居、処に遑あらずなり。) その中で白髪の...
〔『正法眼蔵』原文〕 師いはく、「馬祖、われにむかひていふ、 「即心是仏 ソクシン ゼブツ 」」。すなはちこの山に住す」。 僧いはく、「近日は仏法また別なり」。 師いはく、「作麽生 ソモサン 別なる」。 僧いはく、「馬祖いはく、「非心非仏」とあり」。 師いはく、「這老漢 シャロウカン 、ひとを惑乱すること、了期 リョウゴ あるべからず。任他非心非仏、我祗管即心是仏 《さもあらばあれ非心非仏、我れは祗管に即心是仏なり》 」。 この道 ドウ をもちて馬祖に挙似 コジ す。 馬祖いはく、「梅子熟也 バイス ジュクヤ 《梅子熟せり》 」。 この因縁は、人天 ニンデン みなしれるところなり。 天龍 テンリュウ は師の神足 ジンソク なり。 俱胝 グテイ は師の法孫なり。 高麗 コウライ の迦智 キャチ は、師の法を伝持して本国の初祖なり。 いま高麗の諸師は師の遠孫 オンソン なり。 生前 ショウゼン には、一虎 イッコ 一象、よのつねに給侍す、あひあらそはず。 師の円寂ののち、虎象いしをはこび、泥をはこびて師の塔をつくる。 その塔、いま護聖寺 ゴショウジ に現存せり。 師の行持、むかしいまの知識とあるは、おなじくほむるところなり。 劣慧 レツエ のものはほむべしとしらず。 貪名愛利 トンミョウアイリ のなかに仏法あらましと強為 ゴウイ するは、 小量の愚見なり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 師は言った、「馬祖がわたしに向かって、即心是仏 (この心がそのまま仏だ) と 言われた。それ以来この山に住むようになった」。 (師いはく、「馬祖われにむかひていふ、即心是仏。すなはちこの山に住す」。) 僧は言った、「近頃の馬祖の仏法はまた別です」。 (僧いはく、「近日仏法また別なり」。) 師は言った、「どのように別か」 (師いはく、「作麽生別なる」。) 僧は言った、 「馬祖は、非心非仏 (心にあらず仏にあらず) と言われています」。 (僧いはく、「馬祖いはく、非心非仏とあり」。) 師は言った、「この老いぼれ奴、人をどこまで惑わす気か。 非心非仏がどうあろうとかまわない。わしはひたす...