〔『正法眼蔵』原文〕 諸仁者、還見古人偈麼、 《諸仁者 ショジンシャ 、還 マタ 古人の偈を見るや、》 山田脱粟飯、野菜淡黄齏、喫則従君喫、不喫任東西。 《山田脱粟 サンデンダツゾク の飯、野菜淡黄の齏 セイ 、喫 キツ は則ち君が喫するに従 マカ す、喫せざれば東西に任す。》 伏惟同道 フイドウドウ 、各自努力。珍重 チンチョウ。 《伏して惟 オモンミ れば同道、各自に努力せよ、珍重 チンチョウ 。》 これすなはち、祖宗単伝の骨髄なり、高祖の行持おほしといへども、 しばらくこの一枚を挙 コ するなり。 いまわれらが晩学なる、芙蓉高祖の芙蓉山に修練 シュレン せし行持、 したひ参学すべし、それすなはち祇園 ギオン の正儀 ショウギ なり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 みなさん、次の古人の詩偈を聞いたことがあるか、 (諸仁者、還古人の偈を見るや、) 山の田の粗末な玄米の飯、黄ばんだ野菜の塩漬け、こんな食事 (仏法) で修行する気があるならしなさい、それが嫌なら勝手にどこへでもおいでなさい。 (山田脱粟の飯、野菜淡黄の齏、喫することは則ち君の喫するに従す、 喫せざれば東西に任す、) それでは同参の人たちよ、各々自ら努力せよ。お大事に。 (伏して惟んみれば同道、各自に努力せよ、珍重。) これがすなわち仏祖が一筋に伝えてきた仏法の真髄である。 (これすなはち祖宗単伝の骨髄なり、) 芙蓉高祖の行持は多いけれども、しばらくこの一例を挙げるのである。 (高祖の行持おほしといへども、しばらくこの一枚を挙するなり。) 今の我々後進の者は、芙蓉高祖が芙蓉山で修練した行持を慕って修行すべきである。 (いまわれらが晩学なる、芙蓉高祖の、芙蓉山に修練せし行持、したひ参学すべし、) それがとりもなおさず祇樹給孤独園に居られた釈迦牟尼仏の正しい修行のあり方なのである。 (それすなはち祇園の正儀なり。 合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。 ↓ ↓ にほんブログ村
〔『正法眼蔵』原文〕 山僧今日、向諸人面前説家門、已是不著便、豈可更去陞堂入室、拈槌竪払、 東喝西棒、張眉努目、如癇病発相似。不唯屈沈上座、況亦辜負先聖。 《山僧 サンゾウ 今日、諸人の面前に向かって家門を説く、已に是れ便 タヨリ を著 エ ず、豈に更に去 サッ て陞堂 シンドウ し入室 ニュウシツ し、拈槌竪払 ネンツイジュホツ し、東喝西棒 トウカツセイボウ し、張眉努目 チョウビドモク 、癇病の発するが如くに相似 ソウジ るたる可し、唯上座を屈沈 クッチン するのみにあらず、況 マスマ す亦先聖 センショウ を辜負 コブ せんをや。》 你不見、達磨西来、到少室山下、面壁九年、二祖至立雪断臂、可謂受艱辛、 然而達磨不曾措了一詞、二祖不曽問著一句、還喚達磨。作不為人得麼、 喚二祖做不求師得麼、山僧毎至説著古聖做処、便覚無地容身、慚愧後人軟弱。 《你見ずや、達磨西来して、少室山の下 フモト に到り、面壁九年す、二祖立雪断臂 リュウセツダンピ に至りて、謂 イイ つ可し、艱辛を受くと、然而 シカリシコ うして達磨曾て一詞 ジ を措了 ソリョウ せず、二祖曾て一句を問著せず、還って達磨を喚んで人の為にせずと作 ナ し得てんや、二祖を喚んで師を求めずと做 ナ し得てんや、山僧古聖 サンゾウコショウ の做処 サショ を説著 セツジャク するに至る毎に、便ち身を容るるに地無しと覚ゆ、慚愧 ザンキ す後人 コウジン の軟弱なることを。》 又況百味珍羞、逓相供養、道我四事具足、方可発心、只恐做手脚不迭、 便是隔生隔世去、也時光似箭、深為可惜。 《又況 サラ に百味珍羞 ヒャクミチンシュウ 、逓 タガイ に相供養し、道 イ ふ、我れは四事具足して、方 マサ に発心すべしと。只恐らくは做手脚 ソシュキャク 不迭 フテツ にして、便ち是れ隔生隔世 カクショウカクセ せん。 時光箭 ヤ に似たり、深く可惜 コシツ たり。》 雖然如是、更在他人従長相度、山僧也強教你不得。 《然も是の如くなりと雖も、更に他人の従長して相度する在らん。 山僧也 マタ 強ひて你に教ふること不得なり》。 〔聞書私訳〕 /「道ふ、我れは四事具足して、方に発心すべし」とは、道は衣食住などが十分備わってから行われるというのは、私の手脚は〔仏弟子ほど〕速くないと〔いって...