〔『正法眼蔵』原文〕 真丹 シンタン 第二祖大祖 タイソ 正宗普覚 ショウシュウフカク 大師は、神鬼 シンキ ともに 嚮慕 キョウボ す、道俗おなじく尊重せし高徳の祖なり、曠達 コウタツ の士なり。 伊洛 イラク に久居して群書を博覽す。 くにのまれなりとするところ、人のあひがたきなり。 法高徳重 ホウコウトクジュウ のゆゑに、神物倏見 ジンモツシュクゲン して、 祖にかたりていふ、 「将欲受果、何滞此耶。大道匪遠、汝其南矣」。 《将に受果を欲せば、何ぞ此に滞るや。大道遠きに匪 アラ ず、汝其れ南せよ》 あくる日、にはかに頭痛すること刺 サス がごとし。 其師 ソノシ 洛陽龍門香山宝静 ホウジョウ 禅師、これを治せんとする。 ときに、 空中有声曰、「此乃換骨、非常痛也」。 《空中に声有りて曰く、「此れ乃ち骨を換うるなり、常の痛みに非ず」》 祖遂以見神事、白于師。師視其頂骨、即如五峰秀出矣。乃曰、 「汝相吉祥、当有所証。神汝南者、斯則少林寺達磨大士、必汝之師也」。 《祖。遂に見神の事を以て、師に白す。師その頂骨を視るに、即ち五峰の秀出 せるが如し。乃ち曰く、「汝が相、吉祥 キチジョウ なり、当に所証有るべし。 神の汝南せよとは、斯れ則ち少林寺の達磨大士、必ず汝が師なり」》 〔『正法眼蔵』私訳〕 中国の二祖、大祖慧可大師 (正宗普覚) は、目に見える神も目に 見えない 神もともに仰ぎ慕い、僧も俗も同じく尊び重んじた高徳の祖師で、 心が広く物事に通達した人である。 (真丹第二祖大祖正宗普覚大師は、神鬼ともに嚮慕す、 道俗おなじく尊重せし高徳の祖 なり、曠達の士なり。) 伊水と洛水の間に長くとどまって、様々な書物を広く学んだ。 (伊洛に久居して群書を博覽す。) 国にとっても稀な人で、滅多に会えない人である。 (くにのまれなりとするところ、人のあひがたきなり。) 仏法をよく知り徳のある人であることから、 ある時不思議なものが突然現れて、二祖に語りかけて、 「仏果を受けたいと思うなら、どうしてここに滞っているのか。 大道は遠くではない、お前は南へ行くがよい」と言った。 (法高徳重のゆゑに、神物倏見して、祖にかたりていふ、 「将に受果を欲はば、何ぞ此 に滞るや。大道遠きに匪ず、汝其れ南せよ」。) 次の日、急に頭痛がして刺すようであった。...
〔『正法眼蔵』私訳〕 このゆゑに、寒苦をおづることなかれ。 寒苦いまだ人をやぶらず、寒苦いまだ道をやぶらず。 ただ不修 フシュ をおづべし、不修それ人をやぶり、道をやぶる。 暑熱をおづることなかれ、暑熱いまだ人をやぶらず、 暑熱いまだ道をやぶらず。 不修よく人をやぶり、道をやぶる。 麦をうけ、蕨 ワラビ をとるは、道俗の勝躅 ショウチョク なり。 血をもとめ、乳をもとめて、鬼畜にならはざるべし。 たゞまさに行持なる一日は、諸仏の行履 アンリ なり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 それ故に、寒苦を恐れてはならない。 いまだ寒苦が人を壊 コワ したことも、寒苦が仏道を壊したこともない。 (このゆゑに、寒苦をおづることなかれ。 寒苦いまだ人をやぶらず、寒苦いまだ道をやぶらず。) ただ修行しないことを恐れるべきである。 修行しないことが人を壊し、仏道を壊すのである。 (ただ不修をおづべし、不修それ人をやぶり、道をやぶる。) だから、暑熱を恐れてはならない。 いまだ暑熱が人を壊したことはない、 暑熱が仏道を壊したこともない。 (暑熱をおづることなかれ。暑熱いまだ人をやぶらず。暑熱いまだ道をやぶらず。) 修行しないことが人を壊し、仏道を壊すのである。 (不修よく人をやぶり、道をやぶる。) 釈尊が麦の供養を受けて一夏を過ごしたことや、兄弟が山中に隠れてわらびを取って過ごしたことは、出家と俗人の勝れた先例である。 (麦をうけ、蕨をとるは、道俗の勝躅なり。) 血を求め乳を求めて、餓鬼や畜生の真似をしてはいけない。 (血をもとめ、乳をもとめて、鬼畜にならはざるべし。) ただ正に行持がある一日は、諸仏の生活である。 (たゞまさに行持なる一日は、諸仏の行履なり。) 合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。 ↓ ↓ にほんブログ村