〔正法眼蔵〕 いはゆるは、「恁麼事をえんとおもはば、すべからくこれ恁麼人なるべし。 すでにこれ恁麼人なり、なんぞ恁麼事をうれへん」。 この宗旨は、直趣無上菩提 ジキシュムジョウボダイ 、しばらくこれを恁麼といふ。 この無上菩提のていたらくは、すなはち尽十方界も無上菩提の少許 ショウコ なり。 さらに菩提の尽界よりもあまるべし。 われらもかの尽十方界の中にあらゆる調度なり。 なにによりてか恁麼あるとしる。 いはゆる身心 シンジン ともに尽界にあらはれて、 われにあらざるゆゑにしかありとしるなり。 〔正法眼蔵訳〕 言うところは、「恁麼 インモ の事を得ようと思うなら、当然恁麼の人であるべきである。 もともとすべての人は恁麼の人である、どうして恁麼の事が得られるかどうか心配することがあろうか。」ということである。 この宗旨は、この直趣無上菩提 (無上の悟りに直に趣くこと) を、 しばらくこれを恁麼 インモ(かくの如し) と言うのである。 この無上菩提のありようは、すなわち尽十方界 (全ての十方の世界) も 無上菩提 (無上の悟り) の少しばかりである。 さらに言えば、菩提 (悟り) は尽十方界よりも大きいのである。 我々もかの尽十方界の中にある調度である。 どうしてこのようであると知ったのか。 いわゆる身心はともに尽十方界に現れて (尽十方界はこの身心に現れて) 、 我のものではないから、そうであると知るのである。 無上の悟りに直に趣くことを恁麼インモ(かくの如し)と言う『第十七恁麼』17-1-1b(聞書抄) 合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。 ↓ ↓ にほんブログ村
〔抄原文〕 「コノ無上菩提ノ為体ハ、スナハチ尽十方界モ無上菩提ノ少許 コ ナリ。サラニ菩提ノ尽界ヨリモアマルベシ。我等モ彼尽十方界ノ中ニアラユル調度ナリ。ナニゝヨリテカ恁麼アルトシル。」 無上菩提ト尽十方界ト相違法ニ非ズ、尽十方界ヲシバラク無上菩提ト云歟 カ 。少許ナリトハ云ハルゝナリ。尽十方界ヲ無上菩提ト云ヒ、無上菩提ヲ尽十方界ト云ヲ、シバラクアマルトモ不足トモ仕ナリ。今、「我等モ彼尽十方界ノ中ニアラユル調度ナリ」ト云、我等ハ恁麼ノ我等ナリ、吾我ニ非ラザル我、已下文ニ見タリ。 〔抄現代語訳〕 「この無上菩提の為体は、すなはち尽十方界も無上菩提の少許 コ なり。さらに菩提の尽界よりもあまるべし。我等も彼尽十方界の中にあらゆる調度なり。なにゝよりてか恁麼あるとしる。」とある。 「無上菩提」と「尽十方界」は互いに異なるものではない。「尽十方界」をしばらく「無上菩提」と言うのである。そのことを「少許なり」と言われるのである。「尽十方界」を「無上菩提」と言い、「無上菩提」を「尽十方界」と言うことを、しばらく「あまる」とか足りないとか言うのである。今、「われらもかの尽十方界の中にあらゆる調度なり」というのは、「われら」は「恁麼」の「われら」であり、自我の我 ワレ ではないということを以下の文で示される。 〔聞書原文〕 /「欲得恁麼事」云フ「欲得」ハ思慮念度ニハアラズ、「直趣無上菩提」ノ「欲得」ト心得ベシ。「尽十方界」モ「無上菩提ノ少許 〈スコシバカリ〉 ナリ」ト云、「菩提ノ尽界ヨリモアマルベシ」ト云フ。 「我等モカノ尽十方界ノ中ニアラユル調度」ト云フ。「身心共ニ尽界ニアラハレテ、我ニアラザルユヱニ」トアレバ、「身心」「尽界」ナルベシ、「尽界」又「無上菩提」ナルベシ。「少許」ト云ヒ、「調度」ナムト云ヘバ、ソノ物ノ内ニハラマレタル「調度」トモ、「少許」トテ、聊 イササカ ナル物一ヲサスニテハナシ。諸法実相ト云フ実相ハ、真如ナリ、仏性ナリ。十如是ヲアゲテハ、唯仏与仏トスデニアラハル。ハジメ如是性一ヲアグルトキ、十アルベキモノゝ、マヅ一トハ心得マジ。如是性ニモレタル諸法有ル可カラズ、相体力作因縁等ノ九ノコリタリトイフベカラズ。「少許」トイフモ、「調度」トイフモ、タトヘバコレ程ナリ。仏ノ「調度」ハ、法々ノ「少許」ハ仏ナムトイハムガ如シ。 /此「恁麼事」ハ、仏性沙汰ノ...