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大船を整えて、南の海を経て広州に到着した『第十六行持下』16下-1-2

〔『正法眼蔵』原文〕       このゆゑにかくのごとく西来せり。 救迷情の自己なるがゆゑに驚疑 キョウギ なく、怖畏 フイ せず。 救迷情の遍界なるゆゑに驚疑せず、怖畏なし。 ながく父王の国土を辞して、大舟をよそほうて、南海をへて広州にとづく。 使船の人おほく、巾瓶 キンビョウ の僧あまたありといへども、史者失録せり。 著岸 ヂャクガン よりこのかた、しれる人なし。 すなはち梁代 リョウダイ の普通八年丁未 ヒノトヒツジ 歳九月二十一日なり。           広州の刺史 シシ 粛昴 シュクゴウ といふもの、主礼をかざりて迎接 ゴウショウ したてまつる。 ちなみに表を修 シュ して武帝にきこゆる、粛昂が勤恪 キンカク なり。 武帝すなはち奏を覧じて、欣悦 ゴンエツ して、 使に詔 ショウ をもたせて迎請 ゴウショウ したてまつる。 すなはちそのとし十月一日なり。 〔『正法眼蔵』私訳〕                                         このためにこのように、達磨大師はインドから中国に来たのである。 (このゆゑにかくのごとく西来せり。) 法を伝え衆生を救う 自己であるから、 驚き疑うことなく怖れず、 法を伝え衆生を救う 遍法界であるから、驚き疑わず怖れることはないのである。 (救迷情の自己なるゆゑに、驚疑なく怖畏せず。救迷情の遍界なるゆゑに、驚疑せず怖畏な し。) 長く父王の国土をおいとまして、大船を整えて、南の海を経て広州に到着した。 (ながく父王の国土を辞して、大舟をよそほふて、南海をへて広州にとづく。) 同船 の人は多く、身近に仕える僧も多数いたが、歴史家は記録しなかった。 (使船の人おほく、巾瓶の僧あまたありといへども、史者失録せり。) 岸に着いてからのちは、大師がいかなる方かを知る人はいなかった。 (著岸よりこのかた、しれる人なし。) それは梁の時代の普通八年 (527年) ひのとひつじの年、九月二十一日のことであった。 (すなはち梁代の普通八年丁未歳九月二十一日なり。)                            広州の長官蕭昂 ショウコウ という者が、儀杖兵を遣わしてお迎えした。 (広州の刺史粛昴といふもの、主礼をかざりて迎接したてまつる。)  また上表文を書いて武帝に申し上げたのは、 ...
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達磨大師は法を伝え衆生を救うために、インドから中国に来た『第十六行持下』16下-1-1a

〔『正法眼蔵』原文〕                                                                         真丹 シンタン 初祖の西来東土 セイライトウド は、般若多羅尊者 ハンニャタラソンジャ の教勅なり。 航海三載の霜華 ソウカ 、その風雪いたましきのみならんや、 雲煙いくかさなりの嶮浪 ケンロウ なりとかせん。 不知のくににいらんとす、身命 シンミョウ ををしまん凡類 ボンルイ 、おもひよるべからず。 これひとへに伝法救迷情 デンポウグメイジョウ の大慈 ダイズ よりなれる行持なるべし。 伝法の自己なるがゆゑにしかあり、伝法の遍界なるがゆゑにしかあり。 尽十方界は真実道なるがゆゑにしかあり、尽十方界自己なるがゆゑにしかあり、尽十方界尽十方界なるがゆゑにしかあり。 いづれの生縁 ショウエン か王宮 オウグウ にあらざらん、いづれの王宮か道場をさへん。 〔『正法眼蔵』私訳〕                                        中国の初祖達磨大師が、インドから中国に来たのは、 般若多羅尊者の教えによるものである。 (真丹初祖の西来東土は、般若多羅尊者の教勅なり。) 航海三年の歳月は、その風雪の痛ましさだけでなく、 雲霧が幾重にも重なる危険な波浪の旅でもあったであろう。 (航海三載の霜華、その風雪いたましきのみならんや、 雲煙いくかさなりの嶮浪なりとかせん。) 未知の国に入ろうとするのは、 自身の命を惜しむ凡夫などには、 思いもよらぬことである。 (不知のくににいらんとす、身命ををしまん凡類、おもひよるべからず。) これはひたすら法 (一切衆生は正法眼蔵涅槃妙心であること) を伝え 一切衆生を救わんとする大慈悲からなった行持である。 (これひとへに伝法救迷情の大慈よりなれる行持なるべし。) 法を伝え一切衆生を救う 自己であるからこのようにあり、 法を伝え一切衆生を救う全宇宙...

達磨大師は法を伝え衆生を救うために、インドから中国に来た『第十六行持下』16下-1-1b

  〔『聞書』私訳〕                                               /真丹 (中国) 初祖菩提達磨和尚。   〔『抄』私訳〕                                               真丹初祖達磨大師の段で、文の通りである。                合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村

思う存分親近できる良縁に恵まれることは稀である『第十六行持上』完16-22-3

〔『正法眼蔵』原文〕  大善知識 ダイゼンチシキ 、かならず人をしる徳あれども、 耕道功夫 コウドウクフウ のとき、 あくまで親近 シンゴン する良縁まれなるものなり。 雪峰のむかし、洞山 トウザン にのぼれりけんにも、 投子 トウス にのぼれりけんにも、さだめてこの事煩 ジハン をしのびけん。 この行持の法操 ホウソウ あはれむべし、参学せざらんはかなしむべし。  正法眼蔵行持第十六 上    仁治癸卯 ミズノト ウ 正月十八日書写了   同三月八日校点了 懐弉 エジョウ 〔『正法眼蔵』私訳〕   優れた指導者は、必ず人を知る徳があるが、 坐禅弁道の時、思う存分親近できる良縁に恵まれることは稀である。 (大善知識、かならず人をしる徳あれども、 耕道功夫のとき、あくまで親近する良縁まれなるものなり。) 雪峰がその昔、洞山に上ったときも、投子山に上ったときも、 きっとこのような煩わしさをじっと耐えたのであろう。 (雪峰のむかし、洞山にのぼれりけんにも、投子にのぼれりけんにも、 さだめてこの事煩をしのびけん。) この行持を固く守って変えなかった志は称賛に値するものである。 このように学ばないことは悲しいことである。 (この行持の法操あはれむべし。参学せざらんはかなしむべし。)  正法眼蔵涅槃妙心第十六行持上の巻。    仁治4年癸卯(1243年)1月18日に書写し終わる。   同年3月8日に校正点検し終わる。懐弉               合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村

学ぼうとしても、師が得られない悲しみがある『第十六行持』16-22-2

〔『正法眼蔵』原文〕    いま有道 ウドウ の宗匠 シュウショウ の会 エ をのぞむに、 真実請参 シンジツ シンサン せんとするとき、そのたよりもとも難辨 ナンベン なり。 ただ二十三十箇の皮袋 ヒタイ にあらず、百千人の面々なり。 おのおの実帰 ジッキ をもとむ、授手の日くれなんとす、打舂 ショウ の夜あけなんとす。 あるひは師の普説するときは、わが耳目なくしていたづらに見聞をへだつ。 耳目そなはるときは、師また道取をはりぬ。 耆宿尊年 ギシュクソンネン の老古錐 ロウコスイ 、すでに拊掌笑呵呵 フショウショウカカ のとき、 新戒晩進 シンカイバンシン のおのれとしては、むしろのすゑを接するたより、 なほまれなるがごとし。 堂奥 ドウオウ にいるといらざると、師決 シケツ をきくときかざるとあり。 光陰は矢よりもすみやかなり、身命は露よりももろし。 師はあれども、われ参不得なるうらみあり、 参ぜんとするに、師不得なるかなしみあり。 かくのごとくの事、まのあたり見聞せしなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 現在仏道修行を実践している師家の禅林を眺めると、学人が真に参学を請いもとめようとするとき、その機会を得ることは非常に難しい。学人はただの二十人三十人ではなく、百人千人もの一人一人であるからである。 (いま有道の宗匠の会をのぞむに、真実請参せんとするとき、そのたよりもとも難辨なり。ただ二十三十箇の皮袋にあらず、百千人の面々なり。) その一人一人が真実の帰着するところを求め、師が 手を取るように学人を指導しようとす れば日が暮れてしまい、 師と学人が切磋琢磨しようとすれば 夜は明けてしまう。 或いは師が説法する時は、それを理解できる自分の耳目がなく、見聞を無駄にしてしまう。 耳目が具わって理解できる時は、師は既に説き終わってしまっている。 (おのおの実帰をもとむ、授手の日くれなんとす、打舂の夜あけなんとす、 あるいは師の普説するときは、わが耳目なくして、いたづらに見聞をへだつ。 耳目そなはるときは、師またときをはりぬ。) 先輩で力量のある老僧が、悟りを得て手を打って 声を出して笑っているとき、仏弟子になったばかりの後輩の自分としては、その末席に 連なる機会 さえ稀であるというような具合である。 (耆宿尊年の老古錐、すでに拊掌笑呵呵のとき、 新戒晩進の...