〔『正法眼蔵』原文〕 百丈山 ヒャクジョウザン 大智禅師、 そのかみ馬祖 バソ の侍者とありしより、 入寂 ニュウジャク のゆふべにいたるまで、 一日も為衆為人 イシュイニン の勤仕 ゴンジ なき日あらず。 かたじけなく、「一日不作 イチニチ フサ 一日不食 フジキ 」のあとをのこすといふは、 百丈禅師すでに年老臘高 ネンロウロウコウ なり、なほ普請作務のところに、 壮齢 ソウレイ とおなじく励力 レイリキ す。 衆、これをいたむ、人、これをあはれむ、師、やまざるなり。 つひに作務のとき、作務の具をかくして、師にあたへざりしかば、 師、その日一日不食なり。 衆の作務にくはゝらざることをうらむる意旨なり。 これを百丈の「一日不作、一日不食」のあとといふ。 いま大宋国に流伝 ルデン せる臨済の玄風ならびに諸方の叢林 ソウリン 、 おほく百丈の玄風を行持するなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 百丈山の大智禅師 (百丈懐海禅師) は、その昔馬祖 (馬祖道一禅師) の侍者であった時から、入滅の夕方に至るまで、一日たりとも大衆と人のために勤めない日はなかった。 (百丈山大智禅師、そのかみ馬祖の侍者とありしより、入寂のゆふべにいたるまで、 一日も為衆為人の勤仕なき日あらず。) 恐れ多いことに、「一日なさざれば、一日食らわず」という故実を残したのは、百丈禅師がすでに老齢となり出家後の年数も大分経ってからのことであり、依然として普請作務 (大衆を普く請し勤労すること) のところで、若い僧たちと一緒に精を出した。 (かたじけなく、一日不作一日不食のあとをのこすといふは、 百丈禅師、すでに年老臘高なり、なほ普請作務のところに、壮齢とおなじく励力す。) 僧たちはこれを嘆き、ほかの人もこれを気の毒に思ったが、師はやめなかった。 (衆これをいたむ、人これをあはれむ、師やまざるなり。) やむをえず作務のとき、作務の道具を隠して師に与えなかったところ、 師はその日一日食事をとらなかった...