〔『正法眼蔵』原文〕 石頭大師は草庵を大石にむすびて石上に坐禅す。 昼夜にねぶらず、坐せざるときなし。 衆務 シュム を虧闕 キケツ せずといへども、十二時の坐禅かならずつとめきたれり。 いま青原の一派の天下に流通 ルヅウ すること、人天を利潤 リニン せしむることは、 石頭大力の行持堅固のしかあらしむるなり。 いまの雲門・法眼 ホウゲン のあきらむるところある、みな石頭大師の法孫なり。 〔抄私訳〕 石頭大師の段、文の通りである。 〔『正法眼蔵』私訳〕 石頭希遷大師は草庵を大石の上に結び石上で坐禅した。 (石頭大師は草庵を大石にむすびて石上に坐禅す。) 昼も夜も眠らず、 坐禅をしないときはなかった。 (晝夜にねぶらず、坐せざるときなし。) 日々の多くの務めを欠かすことはなかったが 、 昼も夜も必ず坐禅を務めたのである。 (衆務を虧闕せずといへども、十二時の坐禅かならずつとめきたれり。) 今日、〔石頭の師の〕青原行思の一派が天下に広まり、人間界や天上界に恩恵を与えていることは、石頭の大力量による堅固な行持のお蔭によるものである。 (いま青原の一派の天下に流通すること、人天を利潤せしむることは、石頭大力の行持堅固のしかあらしむるなり。) 今の雲門宗や法眼宗で仏法を明らめた人は、みな石頭大師の法孫である。 (いまの雲門・法眼のあきらむるところある、みな石頭大師の法孫なり。) 合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。 ↓ ↓ にほんブログ村
〔『正法眼蔵』原文〕 世人のなさけある、金銀珍玩 チンガン の蒙恵 モウケイ なほ報謝す、 好語好声 コウゴコウショウ のよしみ、こゝろあるはみな報謝のなさけをはげむ。 如来無上の正法を見聞する大恩 ダイオン 、たれの人面 ニンメン か、わするゝときあらん。 これをわすれざらん、一生の珍宝なり。 この行持を不退転ならん形骸髑髏 ケイガイドクロ は、生時死時 ショウジシジ 、 おなじく七宝塔におさめ、一切人天皆応供養 イッサイニンデンカイオウクヨウ の功徳なり。 かくのごとく大恩ありとしりなば、かならず草露 ソウロ の命を いたづらに 零落 レイラク せしめず、如山の徳をねんごろに報ずべし。 これすなはち行持なり。 この行持の功は、祖仏として行持するわれありしなり。 おほよそ初祖・二祖、かつて精藍 ショウラン を草創 ソウソウ せず、薙草 チソウ の繁務なし。 および三祖・四祖もまたかくのごとし。 五祖・六祖の寺院を自草 ジソウ せず、青原・南嶽もまたかくのごとし。 〔『正法眼蔵』私訳〕 世間でも人情味のある人は、金銀や珍しい物をもらえば報恩感謝する。 やさしい言葉や声をかけられれば、心ある人はみな報恩感謝の心を起こすのである。 (世人のなさけある、金銀珍玩の蒙恵なほ報謝す、好語好声のよしみ、こゝろあるはみな報謝のなさけをはげむ。) 如来の無上の正法を見聞した大恩を、人間なら誰が忘れることがあろうか。 これを忘れないことは、一生の貴重な宝である。 (如来無上の正法を見聞する大恩、たれの人面か、わするゝときあらん。これをわすれざらん、一生の珍宝なり) この行持を怠らずつとめぬいた亡骸や髑髏は、生きている時も死んでからも同じく七宝の塔に収め、一切の人間界・天上界の衆生がみな供養すべき功徳があるのである。 (この行持を不退転ならん形骸髑髏は、生時死時、おなじく七宝塔におさめ、一切人天皆応供養の功徳なり。) このように大恩があると知れば、草露の命を無駄に落とすようなことはせず、 山のごとき恩徳にねんごろに報いなければならない。 これがとりもなおさず行持なのである。 (かくのごとく大恩ありとしりなば、かならず草露の命をいたづらに零落せしめず、如山の徳をねんごろに報ずべし。これすなはち行持なり。) この行持の功徳は、祖師や諸仏として行持する...