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この愚しさしさは、眼の前の五感の対象に迷わされているからである『第十六行持下』16下-4-3

  〔『正法眼蔵』原文〕                                  われらが卑賤おもひやれば、驚怖しつべし。 中土 チュウド をみず、中華にむまれず、聖 ショウ をしらず、賢をみず。 天上にのぼれる人いまだなし、人心ひとへにおろかなり。 開闢 カイビャク よりこのかた化俗 ケゾク の人なし、国をすますときをきかず。 いはゆるは、いかなるか清、いかなるか濁としらざるによる。 二柄三才 ニヘイサンサイ の本末にくらきによりてかくのごとくなり。 いはんや五才の盛衰 ジョウスイ をしらんや。 この愚は、眼前の声色にくらきによりてなり。 くらきことは、経書をしらざるによりてなり、経書に師なきによりてなり。 その師なしといふは、この経書いく十巻といふことをしらず、 この経いく百偈、いく千言としらず、たゞ文 モン の説相をのみよむ。 いく千偈、いく万言といふことをしらざるなり。 すでに古経をしり、古書をよむがごときは、すなはち慕古の意旨あるなり。 慕古のこゝろあれば古経きたり現前するなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕                           日本に住む我々の卑賤なことは、顧みれば驚き恐れるほどである。 (われらが卑賤おもひやれば、驚怖しつべし。) 中央の地を見たことがなく、中華に生まれず、聖人を知らず、 賢者を見ず、天上界に上った人もなく、人の心はまったく愚かである。 (中土をみず、中華にうまれず。聖をしらず、賢をみず、 天上にのぼれる人いまだなし、人心ひとへにおろかなり。) 日本の国始まって以来、俗人を教化した人がなく、 国を清らかにした時を聞いたことがない。 (開闢よりこのかた、化俗の人なし、国をすますときをきかず。) それは、どのようなことが国が清らかになることで、 どのようなことが国が濁ることであるか知らないからである。 (いわゆるは、いかなるが清、いかなるが濁としらざるによる。) 天と地と人の道理の本末に暗いから、このようであるのだ。 (二柄三才の本末にくらきによりて、かくのごとくなり。) 言うまでもなく、 万物を構成する木火土金水 モクカドゴンスイ による世の盛衰を知らない。 (いわんや、五才の盛衰をしらんや。) この愚しさしさは、眼の前の五感の対象に迷わされているからである。 (この愚は、眼前の声色に...
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達磨大師は嵩山に行き少林寺に逗留した『第十六行持下』16下-4-2

〔『正法眼蔵』原文〕 しかあればすなはち、梁 リョウ より魏へゆくことあきらけし。 嵩山 スウザン に経行 キンヒン して少林に倚杖 イジョウ す。 面壁燕坐 メンペキエンザ すといへども、習禅にはあらざるなり。 一巻の経書 キョウショ を将来せざれども、正法伝来の正主 ショウシュ なり。 しかあるを、史者あきらめず、 習禅の篇につらぬるは、至愚なり、かなしむべし。                             かくのごとくして嵩山に経行するに、犬あり、堯 ギョウ をほゆ。 あはれむべし、至愚なり。 だれのこゝろあらんか、この慈恩をかろくせん。 たれのこゝろあらんか、この恩を報ぜざらん。 世恩なほわすれず、おもくする人おほし、これを人といふ。 祖師の大恩は父母 ブモ にもすぐるべし、 祖師の慈愛は、親子 シンシ にもたくらべざれ。 〔『正法眼蔵』私訳〕 このようであったので、大師が梁から魏へ行ったことは明らかである。 ( しかあればすなはち、梁より魏へゆくことあきらけし。) 嵩山に行き少林寺に逗留した。 (嵩山に経行して少林に倚杖す。) 壁に向って坐禅をしたが、それは禅定の修練ではないのである。 (面壁燕坐すといへども、習禅にはあらざるなり。) 大師は一巻の経書ももたらさなかったが、 正法を伝来した正統な教主である。 (一巻の経書を将来せざれども、正法伝来の正主なり。)  しかし、歴史家はそのことを理解せず、禅定を修練する者の部類に入れたのは、まことに愚かで、悲しむべきことである。 (しかあるを、史者あきらめず、習禅の篇につらぬるは、至愚なり。かなしむべし。)                                 このようにして嵩山に行ったが、盗人の犬が聖天子の堯を吠えたように、 大師を誹謗する者がいた。 (かくのごとくして嵩山に経行するに、犬あり、堯をほゆ。) 〔犬は、達磨大師に迫害を加えた菩提流支三蔵や光統律師などを指す。〕 哀れむべき者であり、まことに愚かなことである。 (あわれむべし、至愚なり。) 心ある人ならば、誰が慈悲深いこの師の恩を軽んじるであろうか。 (だれのこゝろあらんか、この慈恩をかろくせん。)                               心ある人ならば、誰がこの師の恩に報いないでおられようか。 (...

理解できなかったために、達磨大師を禅定の修練をする者とした『第十六行持下』16下-4-1b

  〔聞書私訳〕 /そもそも、初祖と梁の武帝との問答には、よくわからないことがある。 初祖がインドから初めて渡って来たとき、どうして言語が通じて問答ができたのか、非常に疑わしい。 その上、石門の『林間録』には、「使達磨不通方言、則何於是時、便能爾耶」 (達磨をして方言に通ぜざらしめれば、則ち何ぞ是の時に於いて、便ち能くしかあらんや) とある。本当に疑わしいのである。 ただ、証果を得た聖者は、天上界でも人間界でもその土の香りを嗅ぐと言語がみな通じて疑いがないという説がある。 また、『林間録』には、「ことの道理、大姿を載せる」と言うけれども、梁の武帝と初祖の間にどのような通路があったのかも知ることはできないが、全く疑を残してはならない。 〔抄私訳〕  「習禅の列に編集すれども、しかにはあらず」というのは、六波羅蜜の中の禅波羅蜜と考えて、そのように解釈したことを斥けるのである。                   「犬あり、堯をほゆ」とは、堯はたいそう立派な王である。その王を犬が吠えたことがあった。今同じように初祖の本当の在りようを人が知らないで、「習禅の列」に連ねたところをこのように言うのである              合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村  

理解できなかったために、達磨大師を禅定の修練をする者とした『第十六行持下』16下-4-1a

〔『正法眼蔵』原文〕                              石門林間録云、菩提達磨、初自梁之魏。経行於嵩山之下、倚杖於少林。 面壁燕坐而已、非習禅也。久之人莫測其故。因以達磨為習禅。 夫禅那、諸行之一耳。何足以尽聖人。而当時之人、以之、為史者、 又従而伝於習禅之列、使与枯木死灰之徒為伍。雖然、聖人非止於禅那。 而亦不違禅那。 如易出于陰陽、而亦不違乎陰陽。 《 石門の林間録に云く、「菩提達磨、初め梁より魏に之 ユ く。 嵩山の下 フモト に経行 キンヒン し、少林に倚杖 イジョウ す。 面壁燕坐 エンザ するのみなり、習禅には非ず。 久しくなりて人 其の故 ユエ を測 シ ること莫 ナ し。 因 ヨッ て達磨を以て習禅とす。 夫れ禅那は、諸行の一つのみなり、何ぞ以て聖人を尽すに足らん。 而も当時の人、之を以てし、為史の者、又従って習禅の列に伝 ツラ ね、 枯木死灰の徒 トモガラ と伍 トモ ならしむ。 然りと雖も、聖人は禅那に止まるのみに非ず、而も亦 禅那に違せず。 易の陰陽より出でて、而も亦 陰陽に違せざるが如し》                梁武初見達磨之時、即問、「如何是聖諦第一義」。        《梁武初めて達磨を見し時、即ち問う、「如何ならんか是れ聖諦第一義」》                答曰 コタエテイワク 、「廓然無聖 カクネンムショウ 」。 進曰 ススンデイワク 、「対朕者誰 《朕に対する者は誰 タ そ》 」。    又曰、「不識 フシキ 」。                       使達磨不通方言、則何於是時、使能爾耶。             《もし達磨方言 ホウゴン に不通ならんには、則ち何ぞ是の時に於て、 能くしかあらしむるにいたらんや》     〔『正法眼蔵』私訳〕                             石門洪覚範 コウカクハン の『林間録』に言う、 「菩提達磨は、初め梁の国から魏の国に赴いた。 そして嵩山のふもとに行き少林寺に逗留した。 壁に向かって坐禅しただけで、禅定の修練ではなかった。 長い間、人はその真意を理解できなかったために、 達磨大師を禅定の修練をする者とした。 そもそも禅定とは、多くの修行の中の一つに過ぎない。 どうして禅定だけで、聖人を極めることができようか。 し...

達磨大師は釈迦牟尼仏から二十八代目の正統な後継者である『第十六行持下』16下-3-2

  〔『正法眼蔵』原文〕  初祖は釈迦牟尼仏より二十八世の嫡嗣 チャクシ なり。 父王の大国をはなれて、東地の衆生を救済 クサイ する、たれのかたをひとしくするかあらん。 もし、祖師西来せずは、東地の衆生、いかにしてか仏正法を見聞せん。 いたづらに名相 ミョウソウ の沙石 シャセキ にわづらふのみならん。 いまわれらがごときの辺地遠方 ヘンヂオンポウ の披毛戴角 ヒモウタイカク までも、 あくまで正法をきくことえたり。 いまは田夫農夫、野老村童までも見聞する、 しかしながら祖師航海の行持にすくはるゝなり。 西天と中華と、土風はるかに勝劣せり、方俗 ホウゾク はるかに邪正 ジャショウ あり。 大忍力 ダイニンリキ の大慈にあらずよりは、伝持法蔵の大聖 ダイショウ 、むかふべき処在にあらず。 住すべき道場なし、知人 チニン の人 ヒト まれなり。 しばらく嵩山 スウザン に掛錫 カシャク すること九年なり。 人これを壁観婆羅門 ヘキカンバラモン といふ。 史者 シシャ これを習禅の列に編集すれども、しかにはあらず。 仏々嫡々 テキテキ 相伝する正法眼蔵、ひとり祖師のみなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕  中国の初祖達磨大師は釈迦牟尼仏から二十八代目の正統な後継者である、 (初祖は釈迦牟尼仏より二十八世の嫡嗣なり、) 父王の大国を離れて、中国の衆生を救済した初祖に、 誰が肩を並べることができようか。 (父王の大国をはなれて、東地の衆生を救済する、たれのかたをひとしくするかあらん。) もし初祖がインドから来なければ、 中国の衆生はどのようにして仏の正法を見聞できたであろうか。 (もし祖師西来せずば、東地の衆生、いかにしてか仏正法を見聞せむ。) むなしく無数の経文の教えに煩わされているだけであったろう。 (いたづらに名相の沙石にわづらふのみならん。) 今、我々のような辺地遠方に住む、毛に覆われ角を載せたような未開の者まで、 存分に正法を聞くことが出来るのである。 (いまわれらがごときの辺地遠方の披毛戴角までも、あくまで正法をきくことえたり。) 今では農夫や村の老人から子供に至るまで正法を見聞しているが、 これは一重に祖師が航海して法を伝えた行持に救われているのである。 (いまは田夫農夫、野老村童までも見聞する、しかしながら祖師航海の行持にすくはるるなり。) ...