〔『正法眼蔵』原文〕 又いはく、参禅者身心脱落也。 不用焼香礼拝 ライハイ 、念仏修懺 シュサン 看経 カンキン 、祇管打坐始得 シカンタザシトク 〈 参禅は身心脱落なり。焼香・礼拝・念仏・修懺・看経を用ゐず、祇管打坐して始て得ん〉 」。 まことにいま大宋国の諸方に、参禅に名字 ミョウジ をかけ、 祖宗 ソシュウ の遠孫 オン孫 と称する皮袋 ヒタイ 、たゞ一二百 イチニヒャク のみにあらず。 稻麻竹葦 トウマチクイ なりとも。打坐を打坐に勧誘するともがら、 たえて風聞 フウモン せざるなり、ただ四海五湖のあひだ、先師天童のみなり。 諸方もおなじく天童をほむ、天童諸方をほめず。 又すべて天童をしらざる大刹 ダイセツ の主 シュ もあり、 これは中華にうまれたりといへども、禽獣 キンジュウ の流類 ルルイ ならん、 参ずべきを参ぜず、いたづらに光陰を蹉過 シャカ するがゆゑに、 あはれむべし天童をしらざるやからは、 胡説乱道 コセツランドウ をかまびすしくするを、仏祖の家風と錯認 シャクニン せり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 また言う、「坐禅は身心脱落である。焼香・礼拝、念仏・懺悔 サンゲ ・読経を 用いず、 ひたすら坐禅して始めて身心脱落が得られるのである」。 (又いはく、「参禅は身心脱落なり。焼香礼拝、念仏修懺看経を用いず、祇管打坐して始て得ん」。) 〔「用いず (不用) 」という言葉は要らないという意味ではない。坐禅が焼香し、 坐禅があらゆる経を説きぬいているということである。だから底意は、 坐禅が焼香し、礼拝し、念仏し、懺悔し、読経している のであり、 ひたすら坐禅して始めて身心脱落が得られるということである。〕 まことに、今大宋国の諸方に、坐禅を標榜 ヒョウボウ し、達磨大師の遠い法孫と称する者たちが、ただ百人二百人だけではない。 (まことに、いま大宋国の諸方に、参禅に名字をかけ、祖宗の遠孫と称ずる皮袋、 ただ一、二百のみにあらず。) 実におびただしい数であるが、坐禅を〔悟りの道具にせず〕ただ坐禅に導く人は、 いっこうに聞いたことがない。 (稻麻竹葦なりとも。打坐を打坐に勧誘するともがら、たえて風聞せざるなり。) 中国全天下において、ただ先師天童だけである。 (ただ四海五湖のあひだ、先師天童のみなり。) 諸方の住職も同じく天童を褒める...
〔『正法眼蔵』原文〕 衲子 ノッス を教訓するにいはく、 「参禅学道は、第一有道心 ウドウシン 、これ学道のはじめなり。 いま二百年来、祖師道すたれたり、かなしむべし、 いはんや一句を道得せる皮袋 ヒタイ すくなし。 某甲 ソレガシ そのかみ径山 キンザン に掛錫 カシャク するに、 光仏照 コウブッショウ そのときの粥飯頭 シュクハントウ なりき、上堂していはく、 『仏法禅道、かならずしも他人の言句 ゴンク をもとむべからず、ただ各自理会 リエ 」。 かくのごとくいひて、僧堂裏都不管 トフカン なりき、雲水 ウンスイ 兄弟也 ヒンデイマタ 都不管 トフカン なり、祇管与官客相見追尋 シカンヨカンキャクショウケンツイジン〈 祇管に官客と相見追尋〉 するのみなり。 仏照ことに仏法の機関をしらず、ひとへに貪名愛利のみなり。 仏法もし各自理会ならば、いかでか尋師訪道の老古錐 ロウコスイ あらん。 真箇是光仏照不曾参禅也 シンコゼコウブツショウフゾウサンゼンナリ〈 真箇是れ光仏照、曾て参禅せざるなり〉 。 いま諸方長老無道心なる、ただ光仏照箇児子也 コジシナリ 。 仏法那得他手裏有 ナトクタシュリウ[〈 仏法那 イズクン ぞ他 カレ が手裏に有ることを得ん〉。 可惜 カシャク 可惜〈 惜しむべし惜しむべし〉 。」 かくのごとくいふに、仏照児孫おほくきくものあれど、うらみず。 〔『正法眼蔵』私訳〕 禅僧を教えるのに常に言った、「坐禅をつとめ仏道を修行するには、第一に道心 (菩提心:さとりを得ようという志) があること、これが仏道修行に入る出発点である。 (衲子を教訓するにいはく、参禅学道は第一有道心、これ学道のはじめなり。) この二百年来、祖師の道は廃れてしまい、悲しいことである。 (いま二百来年、祖師道すたれたり、かなしむべし。) まして真実の一句を言いぬいた人は少ない。 (いはんや一句を道得せる皮袋すくなし。) わたしが昔径山 キンザン に安居したとき、徳光仏照 (大慧宗杲 ダイエソウコウ の弟子) が住職であった。 (某甲...