スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

洞山「あらゆるものと一つに成ることを願って、坐禅修行すること既に二十年である」『正法眼蔵第十六行持』16-7a  

〔『正法眼蔵』原文〕                                 雲巌 ウンガン 和尚と道吾 ドウゴ と、おなじく薬山に参学して、 ともにちかひをたてて、四十年わきを席につけず、一味 イチミ 参究す。 法を洞山 トウザン の悟本大師 ゴホンダイシ に伝付 センプ す。        洞山いはく、「われ、欲打成一片、坐禅辨道已二十年 《一片に打成 タジョウ せんと欲して、坐禅辨道すること已 スデ に二十年》 なり」。            いまその道 ドウ 、あまねく伝付せり。                                                                          〔『正法眼蔵』私訳〕                                            雲巌曇晟 ドンジョウ 和尚と道吾円智和尚は、同じく薬山惟厳 ヤクサンイゲン 禅師について参禅学道して、共に誓いを立て、四十年脇を床に付けず、心を一つにして参究した。 (雲巌和尚と道吾と、おなじく薬山に参学して、ともにちかひをたてて、四十年わきを席につけず、一味参究す。) 法を洞山の悟本大師に伝えた。 (法を洞山の悟本大師に伝付す。)                                洞山大師は言った、「わたしは、あらゆるものと一つに成ることを願って、 坐禅修行すること既に二十年である」。 (洞山いはく、「われ、欲打成一片、坐禅辨道已二十年 《一片に打成せんと欲して、坐禅辨道すること已に二十年》なり」。)                                          今その雲巖・洞山の坐禅弁道が、遍く今日まで (道元禅師まで) 伝わっている。 (いまその道、あまねく伝付せり。) 洞山「あらゆるものと一つに成ることを願って、坐禅修行すること既に二十年である」『正法眼蔵第十六行持』16-7b                 合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓              ...
最近の投稿

洞山「あらゆるものと一つに成ることを願って、坐禅修行すること既に二十年である」『正法眼蔵第十六行持』16-7b 

  〔『聞書』私訳〕                                              / 雲巌無住大師は、石頭希遷の孫弟子で、薬山弘道大師の弟子である。         /道吾は、石頭希遷の弟子で、号は天皇子である。  〔『抄』私訳〕                                                雲巌無住大師、文の通りである。                          道吾、文の通りである。

馬祖道一禅師は坐禅をつとめること二十年であった『正法眼蔵第十六行持』16-6

〔『正法眼蔵』原文〕                        江西 コウゼイ 馬祖 バソ の坐禅することは二十年なり。 これ南嶽の密印を稟受 ボンジュ するなり。 伝法済人 デンポウ サイニン のとき、坐禅をさしおくと道取せず。 参学のはじめていたるには、かならず心印を密受せしむ。 普請作務 フシン サム のところに、かならず先赴 センプ す。 老にいたりて懈惓 ケゲン せず。いまの臨済 リンザイ は江西の流 リュウ なり。                                                                                             〔『正法眼蔵』私訳〕                                                 江西 コウゼイ(揚子江中流の南岸の地) の馬祖道一禅師は、 坐禅をつとめること二十年であった。 (江西馬祖の坐禅することは二十年なり。) その坐禅は南嶽懐譲禅師から親しく仏心印 (仏の心そのもの) を受け取ったのである。 (これ南嶽の密印を稟受するなり。)                             法を伝え人を救うとき、坐禅を差し置くと言わず坐禅のしづめであった。 (伝法済人のとき、坐禅をさしおくと道取せず。) 参禅学道の雲水がはじめて来たときには、 必ず坐禅をさせ仏心印を親しく受けさせた。 (参学のはじめていたるには、かならず心印を密受せしむ。)                     大衆 ダイシュ 全員を請 ショウ して行う作務のときには、必ず率先して赴いた。 (普請作務のところに、かならず先赴す。) 老年になっても怠ることはなかった。 (老にいたりて懈惓せず。) 今の臨済宗は、この江西の流れである。 (いまの臨済は江西の流なり。) 〔『抄』私訳〕  「江西馬祖」の段、文の通りである。                   合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほ...

六祖は木こりで、学問があるとは言えなかった『正法眼蔵第十六行持』16-5

『正法眼蔵』原文〕  六祖は新州の樵夫 ショウフ なり、有識 ユウシキ と称しがたし。 いとけなくして父を喪 ソウ す、老母に養育せられて長ぜり。 樵夫の業を養母の活計とす。 十字の街頭にして一句の聞経よりのち、 たちまちに老母をすてて大法をたづぬ。 これ奇代 キダイ の大器 ダイキ なり、抜群の辨道なり。 断臂 ダンピ たとひ容易なりともこの割愛は大難 ダイナン なるべし、 この棄恩はかろかるべからず。 黄梅 オウバイ の会 ゑ に投じて、八箇月ねぶらずやすまず、昼夜に米をつく。 夜半に衣鉢 エハツ を正伝 ショウデン す。得法已後 イゴ 、 なほ石臼 イシウス をおひありきて、米をつくこと八年なり。 出世度人 ドニン 説法するにも、この石臼をさしおかず、希世 キセイ の行持なり。                                                『正法眼蔵』私訳〕          中国禅の六祖大鑑慧能禅師は、新州 (広東省) の木こりで、 学問があるとは言えなかった。 (六祖は新州の樵夫なり、有識と称しがたし。) 幼くして父を失い、老母に養育されて成長した。 (いとけなくして父を喪す、老母に養育せられて長ぜり。)                         木こりの業を老母を養うための生業 ナリワイ としていた。 (樵夫の業を養母の活計とす。) あるとき市井の四つ辻で『金剛経』の一句を聞いてから、 急に老母を捨てて、すぐれた仏の教法を求めた。 (十字の街頭にして一句の聞経よりのち、たちまちに老母をすてて大法をたづぬ。)              これは世にもまれな優れた器量であり、抜群の仏道修行である。 (これ奇代の大器なり、抜群の辨道なり。) 〔二祖慧可大師が求道のために〕臂を断ったことが、〔容易なことでないことは決まりきっているけれども、〕仮に容易なことであったとしても、 この母の恩愛を断つことは非常に難しいことであり、 この母の大恩を棄てたことは決して軽いことではない。 (断臂たとひ容易なりともこの割愛は大難なるべし、この棄恩はかろかるべからず。)                黄梅山の五祖大満弘忍禅師の会下に加わって、八か月眠らず休まず、 昼夜にわたって米をついた (無上道を修行しぬいた) 。 (黄梅の...