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道を得てからは天人が禅師を探しても見ることは出来なかった『第十六行持』16-10a 

〔『正法眼蔵』原文〕                                             鏡清 キンシン 和尚住院のとき、土地神 ドヂジン かつて師顔 シガン をみることえず、 たよりをえざるによりてなり。                                     三平山 サンペイザン 義忠 ギチュウ 禅師、そのかみ天厨 テンチュウ 送食 ソウジキ す。 大顚 ダイテン をみてのちに、天神 テンジン また師をもとむるに、みることあたはず。                      〔『正法眼蔵』私訳〕                                            鏡清和尚が禅院の住持であったとき、土地神 (寺院を守護する神) は一度も和尚の顔を見ることが出来なかった。 和尚に近づく手がかりを得ることができなかったからである。 (鏡清和尚住院のとき、土地神かつて師顔をみることえず。たよりをえざるによりてなり。)                 三平山の義忠禅師は、その昔天人から食物を送られていた。 しかし、師の大顚宝通和尚に参じて道を得てからは、天人が再び禅師を探しても、見ることは出来なかった。 (三平山義忠禅師、そのかみ天厨送食す。 大顚をみてのちに、天神また師をもとむるに、みることあたはず。) 道を得てからは天人が禅師を探しても見ることは出来なかった『正法眼蔵第十六行持』16-10b                合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村
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道を得てからは天人が禅師を探しても見ることは出来なかった『第十六行持』16-10b 

  〔『聞書』私訳〕    /三平山義忠禪師。                                 /「天厨送食す。大顚を見てのちに、天神また師を」見ない。 これは仏法が伝わった証しである。 その理由は、今の人でも、外道の法を行じて、 魔道によって不思儀な事を現すと信仰するであろう。 正しく仏道を行じて人情に従わなければ、人はこれを貴ばないであろう。 雲居山弘覚大師が、三峰庵に住したときの行は、天はこれを貴んだけれども、伝法した後はその境界を離れたのである。   〔『抄』私訳〕                                                鏡清和尚の段、文の通りである。                                    「土地神」が「師顔をみることえず」、「たよりをえざるによりてなり」。 雲居山の弘覚大師と同じ。                                    「三平山義忠禪師」の段、文の通りである。                     これもまた、「天廚送食す」。 これもまた、法を得た後、「師をもとむるに、みることあたはず」。 大顚は石頭の弟子である。今の義忠は大顚の弟子である。                        合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村

百丈「一日なさざれば、一日食らわず」 『正法眼蔵第十六行持』16-9a 

〔『正法眼蔵』原文〕   百丈山 ヒャクジョウザン 大智禅師、 そのかみ馬祖 バソ の侍者とありしより、 入寂 ニュウジャク のゆふべにいたるまで、 一日も為衆為人 イシュイニン の勤仕 ゴンジ なき日あらず。 かたじけなく、「一日不作 イチニチ フサ 一日不食 フジキ 」のあとをのこすといふは、 百丈禅師すでに年老臘高 ネンロウロウコウ なり、なほ普請作務のところに、 壮齢 ソウレイ とおなじく励力 レイリキ す。 衆、これをいたむ、人、これをあはれむ、師、やまざるなり。 つひに作務のとき、作務の具をかくして、師にあたへざりしかば、 師、その日一日不食なり。 衆の作務にくはゝらざることをうらむる意旨なり。 これを百丈の「一日不作、一日不食」のあとといふ。 いま大宋国に流伝 ルデン せる臨済の玄風ならびに諸方の叢林 ソウリン 、 おほく百丈の玄風を行持するなり。                                                                                         〔『正法眼蔵』私訳〕                               百丈山の大智禅師 (百丈懐海禅師) は、その昔馬祖 (馬祖道一禅師) の侍者であった時から、入滅の夕方に至るまで、一日たりとも大衆と人のために勤めない日はなかった。   (百丈山大智禅師、そのかみ馬祖の侍者とありしより、入寂のゆふべにいたるまで、 一日も為衆為人の勤仕なき日あらず。) 恐れ多いことに、「一日なさざれば、一日食らわず」という故実を残したのは、百丈禅師がすでに老齢となり出家後の年数も大分経ってからのことであり、依然として普請作務 (大衆を普く請し勤労すること) のところで、若い僧たちと一緒に精を出した。 (かたじけなく、一日不作一日不食のあとをのこすといふは、 百丈禅師、すでに年老臘高なり、なほ普請作務のところに、壮齢とおなじく励力す。)      僧たちはこれを嘆き、ほかの人もこれを気の毒に思ったが、師はやめなかった。 (衆これをいたむ、人これをあはれむ、師やまざるなり。)                            やむをえず作務のとき、作務の道具を隠して師に与えなかったところ、 師はその日一日食事をとらなかった...

百丈「一日なさざれば、一日食らわず」 『正法眼蔵第十六行持』16-9b

  〔『聞書」私訳〕                                               / 百丈山大智禅師。                                 /「馬祖の侍者とありしより」、「入寂」に「いたるまで、 一日も為衆為人の 勤仕なき日あらず」。「一日不作、一日不食のあとをのこす」。  〔『抄』私訳〕                                                百丈山大智禅師の段、文の通りである。                    合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村  

天人がまた食物を供養しようとたが、雲居大師を見ることが出来なかった『正法眼蔵第十六行持』16-8a 

  〔『正法眼蔵』原文〕                                 雲居山 ウンゴサン 弘覚大師 グカクダイシ 、そのかみ三峰庵 サンポウアン に住せしとき、 天厨 テンチュウ 送食 ソウジキ す。 大師あるとき洞山に参じて、大道を決択 ケッチャク してさらに庵にかへる。 天使また食を再送して師を尋見 ジンケン するに、三日を経て師をみることをえず。 天厨をまつことなし、大道を所宗とす。 辨肯 ベンコウ の志気、おもひやるべし。                                                        〔『正法眼蔵』私訳〕                                   雲居山の弘覚大師 (雲居道膺 ドウヨウ 禅師) は、その昔洞山の奥にある三峰山に庵を結んで住んでいたとき、天人が食物を送って供養した。 (雲居山弘覚大師、そのかみ三峰庵に住せしとき、天厨送食す。) 大師がある時、洞山良价禅師に参じて、仏祖の大道を自己のものとして、 再び庵に帰ってきた。 (大師あるとき洞山に参じて、大道を決択してさらに庵にかへる。)                    天人がまた食物を供養しようとして大師を尋ねたが、 三日たっても大師を見ることが出来なかった。 (天使また食を再送して師を尋見するに、三日を経て師をみることをえず。) もはや天人の供養を期待することなく、仏祖の大道を根本としたのである。 (天厨をまつことなし、大道を所宗とす。) 坐禅修行に精進した不退転の志を、思いやるべきである。 (辨肯の志気、おもひやるべし)。 天人がまた食物を供養しようとたが、大師を見ることが出来なかった『正法眼蔵第十六行持』16-8b                合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村