〔『正法眼蔵』原文〕 初祖は釈迦牟尼仏より二十八世の嫡嗣 チャクシ なり。 父王の大国をはなれて、東地の衆生を救済 クサイ する、たれのかたをひとしくするかあらん。 もし、祖師西来せずは、東地の衆生、いかにしてか仏正法を見聞せん。 いたづらに名相 ミョウソウ の沙石 シャセキ にわづらふのみならん。 いまわれらがごときの辺地遠方 ヘンヂオンポウ の披毛戴角 ヒモウタイカク までも、 あくまで正法をきくことえたり。 いまは田夫農夫、野老村童までも見聞する、 しかしながら祖師航海の行持にすくはるゝなり。 西天と中華と、土風はるかに勝劣せり、方俗 ホウゾク はるかに邪正 ジャショウ あり。 大忍力 ダイニンリキ の大慈にあらずよりは、伝持法蔵の大聖 ダイショウ 、むかふべき処在にあらず。 住すべき道場なし、知人 チニン の人 ヒト まれなり。 しばらく嵩山 スウザン に掛錫 カシャク すること九年なり。 人これを壁観婆羅門 ヘキカンバラモン といふ。 史者 シシャ これを習禅の列に編集すれども、しかにはあらず。 仏々嫡々 テキテキ 相伝する正法眼蔵、ひとり祖師のみなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 中国の初祖達磨大師は釈迦牟尼仏から二十八代目の正統な後継者である、 (初祖は釈迦牟尼仏より二十八世の嫡嗣なり、) 父王の大国を離れて、中国の衆生を救済した初祖に、 誰が肩を並べることができようか。 (父王の大国をはなれて、東地の衆生を救済する、たれのかたをひとしくするかあらん。) もし初祖がインドから来なければ、 中国の衆生はどのようにして仏の正法を見聞できたであろうか。 (もし祖師西来せずば、東地の衆生、いかにしてか仏正法を見聞せむ。) むなしく無数の経文の教えに煩わされているだけであったろう。 (いたづらに名相の沙石にわづらふのみならん。) 今、我々のような辺地遠方に住む、毛に覆われ角を載せたような未開の者まで、 存分に正法を聞くことが出来るのである。 (いまわれらがごときの辺地遠方の披毛戴角までも、あくまで正法をきくことえたり。) 今では農夫や村の老人から子供に至るまで正法を見聞しているが、 これは一重に祖師が航海して法を伝えた行持に救われているのである。 (いまは田夫農夫、野老村童までも見聞する、しかしながら祖師航海の行持にすくはるるなり。) ...
〔『正法眼蔵』原文〕 師は南天竺の刹利種 セツリシュ なり、大国の皇子 オウジ なり。 大国の王宮 オウグウ 、その法ひさしく慣熟せり。 小国の風俗は、大国の帝者に為見 イケン のはぢつべきあれども、 初祖、うごかしむるこゝろあらず。 くにをすてず、人をすてず。 ときに菩提流支 ボダイルシ の 訕謗 センボウ を救 キュウ せず、にくまず。 光統律師 コウズリッシ が邪心をうらむるにたらず、きくにおよばず。 かくのごとくの功徳おほしといへども、東地の人物、たゞ尋常の三蔵 および経論師のごとくにおもふは至愚なり。小人なるゆゑなり。 あるひはおもふ、「禅宗とて一途 イチズ の法門を開演するが、 自余の論師等の所云 ショウン も、初祖の正法もおなじかるべき」とおもふ。 これは仏法を濫穢 ランエ せしむる小畜なり。 〔「抄」私訳〕 「菩提流支」と「光統律師」はともに教者である。 初祖を嫉 ソネ み憎んだ人である。 〔『正法眼蔵』私訳〕 達磨大師は、南インドの王族階級 (クシャトリア) であり、 大国の皇子である。 (師は南天竺の刹利種なり、大国の皇子なり。) 大国の王宮では、その法が久しく習熟していた。 (大国の王宮、その法ひさしく慣熟せり。) 小国の風俗は、大国の帝王にお目にかかる儀礼が整っておらず 恥ずべきところもあったが、大師は心を動かさなかった。 (小国の風俗は、大国の帝者に為見のはぢつべきあれども、 初祖うごかしむるこゝろあらず。) この国を捨てず、この国の人を捨てなかった。 (くにをすてず、人をすてず。) 時に菩提流支 (北インドから洛陽に来た三蔵学者) の誹謗を受けても、 相手にせず憎まなかった。 (ときに菩提流支の 誹 謗を救せず、にくまず。) また光統律師 (魏の僧) の邪心 (大師を嫉妬して毒殺を図った) を 恨むことなく、問題にもしなかった。 (光統律師が邪心をうらむるにたらず、きくにおよばず。) このように功徳が多かったが、中国の人たちが、 大師をもっぱら普通の三蔵法師や経典・論典の講師のように思ったのは、 実に愚かなことであった。小人であったからであ...