〔『正法眼蔵』原文〕 漢高祖および魏太祖、これら天象 テンショウ の偈をあきらめ、 地形 チギョウ の言 ゴン をつたへし帝者 テイジャ なり。 かくのごときの経典あきらむるとき、 いさゝか三才あきらめきたるなり。 いまだかくのごとくの聖君の化 ケ にあはざる百姓 ヒャクセイ のともがらは、 いかなるを事君 ジクン とならひ、いかなるを事親 ジシン とならふとしらざれば、 君子としてもあはれむべきものなり。 親族としてもあはれむべきなり。 臣となれるも子となれるも、尺璧 セキヘキ もいたづらにすぎぬ、 寸陰もいたづらにすぎぬるなり。 かくのごとくなる家門にむまれて、 国土のおもき職なほさずくる人なし、かろき官位なほをしむ。 にごれるときなほしかあり、すめらんときは見聞もまれならん。 かくのごときの辺地、かくのごときの卑賤の身命 シンミョウ をもちながら、 あくまで、如来の正法をきかんみちに、いかでかこの卑賤の身命を をしむこゝろあらん。 をしんでのちになにもののためにかすてんとする。 〔『正法眼蔵』私訳〕 漢の高祖 (劉邦) や魏の太祖 (曹操) などは、天文の説く詩偈を明らかにし、 土地の様子の説く言葉を伝えた帝王である。 (漢高祖および魏太祖、これら天象の偈をあきらめ、地形の言をつたへし帝者なり。) このような経典を明らめるとき、 いささか天・地・人のはたらきを明らめることができたのである。 (かくのごときの経典あきらむるとき、いささか三才あきらめきたるなり。) まだこのような優れた君主の徳化に会わない多くの民は、 どうすることが君主に仕えることで、どうすることが親に仕えることかを 知らないので、君主としても哀れであり、親族としても哀れである。 (いまだ、かくのごとくの聖君の化にあわざる百姓のともがらは、いかなるを事君とならひ、 いかなるを事親とならふとしらざれば、君子としてもあはれむべきものなり。 親族としてもあはれむべきなり。) これでは臣下となっても子となっても、貴重な一尺の金剛石も無用なものとし、大切なほんのわずかな時間も無駄に過ごしてしまうのである。 (臣となれるも子となれるも、尺璧もいたずらにすぎぬ、寸陰もいたずらにすぎぬるなり。) このような家柄に生まれ育った人に、国の重職を授ける人はいないし、 軽い官位でさえ惜しむであろう。...
〔『正法眼蔵』原文〕 われらが卑賤おもひやれば、驚怖しつべし。 中土 チュウド をみず、中華にむまれず、聖 ショウ をしらず、賢をみず。 天上にのぼれる人いまだなし、人心ひとへにおろかなり。 開闢 カイビャク よりこのかた化俗 ケゾク の人なし、国をすますときをきかず。 いはゆるは、いかなるか清、いかなるか濁としらざるによる。 二柄三才 ニヘイサンサイ の本末にくらきによりてかくのごとくなり。 いはんや五才の盛衰 ジョウスイ をしらんや。 この愚は、眼前の声色にくらきによりてなり。 くらきことは、経書をしらざるによりてなり、経書に師なきによりてなり。 その師なしといふは、この経書いく十巻といふことをしらず、 この経いく百偈、いく千言としらず、たゞ文 モン の説相をのみよむ。 いく千偈、いく万言といふことをしらざるなり。 すでに古経をしり、古書をよむがごときは、すなはち慕古の意旨あるなり。 慕古のこゝろあれば古経きたり現前するなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 日本に住む我々の卑賤なことは、顧みれば驚き恐れるほどである。 (われらが卑賤おもひやれば、驚怖しつべし。) 中央の地を見たことがなく、中華に生まれず、聖人を知らず、 賢者を見ず、天上界に上った人もなく、人の心はまったく愚かである。 (中土をみず、中華にうまれず。聖をしらず、賢をみず、 天上にのぼれる人いまだなし、人心ひとへにおろかなり。) 日本の国始まって以来、俗人を教化した人がなく、 国を清らかにした時を聞いたことがない。 (開闢よりこのかた、化俗の人なし、国をすますときをきかず。) それは、どのようなことが国が清らかになることで、 どのようなことが国が濁ることであるか知らないからである。 (いわゆるは、いかなるが清、いかなるが濁としらざるによる。) 天と地と人の道理の本末に暗いから、このようであるのだ。 (二柄三才の本末にくらきによりて、かくのごとくなり。) 言うまでもなく、 万物を構成する木火土金水 モクカドゴンスイ による世の盛衰を知らない。 (いわんや、五才の盛衰をしらんや。) この愚しさしさは、眼の前の五感の対象に迷わされているからである。 (この愚は、眼前の声色に...