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仏に見えて法を聞くことが出来るのは、 仏祖方の行持により持たされた慈恩である『第十六行持下』16下-8-3

〔『正法眼蔵』原文〕  いまの見仏聞法は、仏祖面々の行持よりきたれる慈恩なり。 仏祖もし単伝せずは、いかにしてか今日にいたらん。 一句の恩なほ報謝すべし、一法の恩なほ報謝すべし。 いはんや正法眼蔵無上大法の大恩、これを報謝せざらんや。 一日に無量恒河沙 ゴウガシャ の身命すてんこと、ねがふべし。 法のためにすてんかばねは、世々 セゼ のわれら、かへりて礼拝供養すべし。 諸天龍神ともに恭敬尊重 クギョウソンヂュウ し、守護讃歎するところなり、 道理それ必然なるがゆゑに。 〔『正法眼蔵』私訳〕 今、仏に見 マミ えて法を聞くことが出来るのは、 仏祖方の行持により持たされた慈恩である。 (いまの見仏聞法は、仏祖面々の行持よりきたれる慈恩なり。) 仏祖がもし法をそっくりそのまま伝えてこなければ、 どうして今日まで伝わったであろうか。 (仏祖もし単伝せずはいかにしてか今日にいたらん。)                      仏祖が伝えた一句の恩にも報謝すべきであり、 一法の恩にも報謝すべきである。 (一句の恩なほ報謝すべし、一法の恩なほ報謝すべし。) 〔礼拝の仕方、合掌の仕方、お袈裟の掛け方にしても、 みな一法一法だ。〕                                  まして正法眼蔵無上の大法である坐禅を伝えた大恩を、 どうして報恩感謝せずにおれようか。 (いはんや正法眼蔵無上大法の大恩、これを報謝せざらんや。)                       報恩感謝のために、 一日に無数の身命を捨てることを、願うべきである。 (一日に無量恒河沙の身命すてんこと、ねがふべし。)                            法のために捨てた屍 シカバネ は、 後世の我々が、振り返って礼拝し供養するであろう。 (法のためにすてんかばねは、世々のわれら、かへりて礼拝供養すべし。)                     諸天や龍神たちも共にそれを敬い尊重し、 守護し讃嘆するところである、必然の道理であるからである。 (諸天龍神ともに恭敬尊重し、守護讃歎するところなり、道理それ必然なるがゆゑに。)               合掌 ランキングに参加中です。よろしけれ...
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初祖の大恩に報恩感謝することは、 一日の行持をつとめることである『第十六行持下』16下-8-2

  〔『正法眼蔵』原文〕 しづかにおもふべし、正法よに流布 ルフ せざらんときは、 身命を正法のために抛捨 ホウシャ せんことをねがふともあふべからず。 正法にあふ今日のわれらをねがふべし、 正法にあうて身命をすてざるわれらを慚愧 ザンキ せん。 はづべくは、この道理をはづべきなり。 しかあれば、祖師の大恩を報謝せんことは、一日の行持なり。 自己の身命をかへりみることなかれ。 禽獣 キンジュウ よりもおろかなる恩愛、をしんですてざることなかれ。 たとひ愛惜 アイジャク すとも、長年 チョウネン のともなるべからず。 あくたのごとくなる家門、たのみてとゞまることなかれ。 たとひとゞまるとも、つひの幽棲にあらず。 むかし仏祖のかしこかりし、みな七宝千子 シッポウセンシ をなげすて、 玉殿朱楼をすみやかにすつ。 涕唾 テイダ のごとくみる、糞土 フンド のごとくみる。 これらみな、古来の仏祖の古来の仏祖を報謝しきたれる知恩報恩の儀なり。 病雀 ビョウジャク なほ恩をわすれず、三府の環よく報謝あり。 窮亀 キュウキ なほ恩をわすれず、余不 ヨ付 の印 イン よく報謝あり。 かなしむべし、人面 ニンメン ながら畜類よりも愚劣ならんことは。 〔『正法眼蔵』私訳〕 静かに考えてみよ、正法が世に流布していない時は、身命を正法のために 投げ捨てようと望んでも、正法に会うことはできないのである。 (しづかにおもふべし、正法よに流布せざらんときは、 身命を正法のために抛捨せんことをねがふともあふべからず。)           正法に会う今日の自分を願うべきである。 (正法にあふ今日のわれらをねがふべし。)          正法に会っていながら身命を正法のために捨てない自分を慚愧すべきである。 (正法にあうて身命をすてざるわれらを慚愧せん。)                                         恥じるなら、この道理を恥じるべきである。 (はづべくは、この道理をはづべきなり。)        だから、初祖の大恩に報恩感謝することは、 一日の行持をつとめることである。 (しかあれば、祖師の大恩を報謝せんことは、一日の行持なり。)                  自分の身命を顧みて行持をつとめないことがあってはならない。 (自己の身命をか...

香厳禅師:この身が墓の中のチリとなることを知らない『第十六行持下』16下-8-1

  〔『正法眼蔵』原文〕   香厳禅師いはく、   百計千方只為身、    《百計 ヒャクケイ 千方 センボウ 只身の為なり、   不知身是塚中塵。      知らず、身は是れ塚の中の塵なること。   莫言白髪無言語、     言ふこと莫れ白髪に言語 ゴンゴ 無しと、   此是黄泉伝語人。     此れは是れ黄泉伝語 コウセンデンゴ の人なり。》 しかあればすなはち、をしむにたとひ百計千方をもてすといふとも、 つひにはこれ塚中一堆 チョウチュウイッタイ の塵 チリ と化 ケ するものなり。 いはんやいたづらに小国の王民につかはれて、東西に馳走 チソウ するあひだ、 千辛万苦 センシンバンク いくばくの身心をかくるしむる。 義によりては身命をかろくす、殉死 ジュンシ の礼わすれざるがごとし。 恩につかはるゝ前途、たゞ暗頭 アントウ の雲霧なり。 小臣につかはれ、民間に身命をすつるもの、むかしよりおほし。 をしむべき人身なり、道器となりぬべきゆゑに。 いま正法にあふ、百千恒沙 ゴウシャ の身命をすてても正法を参学すべし。 いたづらなる小人 ショウニン と、広大深遠 ジンノン の仏法と、 いづれのためにか身命をすつべき。 賢不肖ともに進退にわづらふべからざるものなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 香厳智閑禅師は言った、 (香厳禅師いはく、)   ありとあらゆる手立てを巡らすことはただ我が身のためであるが、    (百計千方只身の為なり、)      この身が墓の中のチリとなることを知らない。      ( 知らず、身は是れ塚の中の塵なること。)      白髪の人には言葉などないと、言ってはならない、    (言ふこと莫れ白髪に言語 ゴンゴ 無しと、)      彼は冥土の言づてを持ってくる人である。    (此れは是れ黄泉伝語の人なり。)   そうであるから、我が身を惜しんでたとえありとあらゆる手立てを尽くしたとしても、結局は墓の中の一塊の土となってしまうものである。 (しかあればすなはち、をしむに、たとえ百計千方をもてすといふとも、 つひにはこれ塚中一堆の塵と化するものなり。)                    まして徒に小国の王の民に使われ、あちこち駆けずり回って、 艱難辛苦に耐えどれほど身心を苦しめるというのか。 (いはんやいたづらに小...

過去世において正法を学び坐禅をつとめた種子『第十六行持下』16下-7

  〔『正法眼蔵』原文〕  また真丹国 インタンコク にも、祖師西来よりのち、 経論に倚解して、正法をとぶらわざる僧侶おほし。 これ経論を披閲すといへども経論の旨趣にくらし。 この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の悪業力なり。 今生つひに如来の真訣をきかず、如来の正法をみず、 如来の面授にてらされず、如来の仏心を使用せず、 諸仏の家風をきかざる、かなしむべき一生ならん。 隋・唐・宋の諸代、かくのごときのたぐひおほし、ただ宿殖般若の種子ある人は、不期に入門せるも、あるは算沙の業を解脱して、祖師の遠孫となれりしは、ともに利根の機なり、上上の機なり、正人の正種なり。 愚蒙のやから、ひさしく経論の草庵に止宿するのみなり。 しかあるに、かくのごとくの嶮難あるさかひを辞せずといはず、 初祖西来する玄風、いまなほあふぐところに、われらが臭皮袋を、 をしんでつひになににかせん。  〔『正法眼蔵』私訳〕  また中国でも、初祖がインドから来た後でも、経典や論書の研究だけしていて、初祖が伝えた仏祖正伝の法、つまり坐禅を学ばない僧侶が多くいた。 (また真丹国にも、祖師西来よりのち、経論に倚解して、正法をとぶらわざる僧侶おほし。) これらの人は、経典や論書を開いて読んでも、その真意に暗かった。 (これ経論を披閲すといへども経論の旨趣にくらし。) このように正法を学ぶことが出来ない悪業は今生の業の報いだけではなく、 過去世の悪業の報いである。 (この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の悪業力なり。) 今生で結局如来の真意を聞かず、如来の正法を見ず、 如来の面授 (師と弟子が目の当たりに相い対して親しく正法を授受すること) に会わず、 如来の仏心を用いず、諸仏の教えを聞かない (この身が諸仏の教えにならない) のは、悲しむべき一生である。 (今生つひに如来の真訣をきかず、如来の正法をみず、如来の面授にてらされず、 如来の仏心を使用せず、諸仏の家風をきかざる、かなしむべき一生ならん。)   隋、唐、宋の時代に、このような人たちは多かった。 過去世において正法を学び坐禅をつとめた種子 シュウジ (すべての現象を生じさせる力) のある人は、思いがけず仏門に入った者も、 あるいは砂を算えるような経論の学問を止めて初祖の法孫となった者も、 ともに優れた資質の人であり、最上の人であり、正しい仏の...