〔聞書私訳〕 /そもそも、初祖と梁の武帝との問答には、よくわからないことがある。 初祖がインドから初めて渡って来たとき、どうして言語が通じて問答ができたのか、非常に疑わしい。 その上、石門の『林間録』には、「使達磨不通方言、則何於是時、便能爾耶」 (達磨をして方言に通ぜざらしめれば、則ち何ぞ是の時に於いて、便ち能くしかあらんや) とある。本当に疑わしいのである。 ただ、証果を得た聖者は、天上界でも人間界でもその土の香りを嗅ぐと言語がみな通じて疑いがないという説がある。 また、『林間録』には、「ことの道理、大姿を載せる」と言うけれども、梁の武帝と初祖の間にどのような通路があったのかも知ることはできないが、全く疑を残してはならない。 〔抄私訳〕 「習禅の列に編集すれども、しかにはあらず」というのは、六波羅蜜の中の禅波羅蜜と考えて、そのように解釈したことを斥けるのである。 「犬あり、堯をほゆ」とは、堯はたいそう立派な王である。その王を犬が吠えたことがあった。今同じように初祖の本当の在りようを人が知らないで、「習禅の列」に連ねたところをこのように言うのである 合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。 ↓ ↓ にほんブログ村
〔『正法眼蔵』原文〕 石門林間録云、菩提達磨、初自梁之魏。経行於嵩山之下、倚杖於少林。 面壁燕坐而已、非習禅也。久之人莫測其故。因以達磨為習禅。 夫禅那、諸行之一耳。何足以尽聖人。而当時之人、以之、為史者、 又従而伝於習禅之列、使与枯木死灰之徒為伍。雖然、聖人非止於禅那。 而亦不違禅那。 如易出于陰陽、而亦不違乎陰陽。 《 石門の林間録に云く、「菩提達磨、初め梁より魏に之 ユ く。 嵩山の下 フモト に経行 キンヒン し、少林に倚杖 イジョウ す。 面壁燕坐 エンザ するのみなり、習禅には非ず。 久しくなりて人 其の故 ユエ を測 シ ること莫 ナ し。 因 ヨッ て達磨を以て習禅とす。 夫れ禅那は、諸行の一つのみなり、何ぞ以て聖人を尽すに足らん。 而も当時の人、之を以てし、為史の者、又従って習禅の列に伝 ツラ ね、 枯木死灰の徒 トモガラ と伍 トモ ならしむ。 然りと雖も、聖人は禅那に止まるのみに非ず、而も亦 禅那に違せず。 易の陰陽より出でて、而も亦 陰陽に違せざるが如し》 梁武初見達磨之時、即問、「如何是聖諦第一義」。 《梁武初めて達磨を見し時、即ち問う、「如何ならんか是れ聖諦第一義」》 答曰 コタエテイワク 、「廓然無聖 カクネンムショウ 」。 進曰 ススンデイワク 、「対朕者誰 《朕に対する者は誰 タ そ》 」。 又曰、「不識 フシキ 」。 使達磨不通方言、則何於是時、使能爾耶。 《もし達磨方言 ホウゴン に不通ならんには、則ち何ぞ是の時に於て、 能くしかあらしむるにいたらんや》 〔『正法眼蔵』私訳〕 石門洪覚範 コウカクハン の『林間録』に言う、 「菩提達磨は、初め梁の国から魏の国に赴いた。 そして嵩山のふもとに行き少林寺に逗留した。 壁に向かって坐禅しただけで、禅定の修練ではなかった。 長い間、人はその真意を理解できなかったために、 達磨大師を禅定の修練をする者とした。 そもそも禅定とは、多くの修行の中の一つに過ぎない。 どうして禅定だけで、聖人を極めることができようか。 し...