〔聞書原文〕
/古教ありとしらんと云ふ。
是は、古教照心と云ふるき詞あり、近代の禅僧は祖師の言句を
推度スイタク(オシハカル)する事あるべからず、はじめてわれとこそ法をば得れと云ふ。
尤古教照心の義にはそむくべし。
仏の言句、祖師の語話ゴワをこそ、よくよく校合コウゴウ了見すべけれ。
不然者、経論すべて無詮なり。
〔聞書私訳〕
/「古教ありとしらん」と言う。
これは、「古教照心(古の教えが心を照らす)」という古い言があるにもかかわらず、
近年の禅僧は祖師の言葉を深く考えることなく、
「自分が初めて法を得たのだ」と主張する傾向にある。
これはもっとも「古教照心」の教えに反するものである。
仏の言葉や祖師の語録を、入念に校合キョウゴウ
(基準とする本文に照らして本文の異同を確かめること)し、深く考察すべきである。
そうしなければ、経論(経典と注釈書)もすべて意味をなさなくなってしまうのである。
合掌
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