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無上の悟りに直に趣くことを恁麼インモ(かくの如し)と言う『第十七恁麼』17-1-1a(正法眼蔵)

〔正法眼蔵〕

 いはゆるは、「恁麼事をえんとおもはば、すべからくこれ恁麼人なるべし。

すでにこれ恁麼人なり、なんぞ恁麼事をうれへん」。


この宗旨は、直趣無上菩提ジキシュムジョウボダイ、しばらくこれを恁麼といふ。


この無上菩提のていたらくは、すなはち尽十方界も無上菩提の少許ショウコなり。


さらに菩提の尽界よりもあまるべし。


われらもかの尽十方界の中にあらゆる調度なり。


なにによりてか恁麼あるとしる。


いはゆる身心シンジンともに尽界にあらはれて、

われにあらざるゆゑにしかありとしるなり。



〔正法眼蔵訳〕

 言うところは、「恁麼インモの事を得ようと思うなら、当然恁麼の人であるべきである。

もともとすべての人は恁麼の人である、どうして恁麼の事が得られるかどうか心配することがあろうか。」ということである。


この宗旨は、この直趣無上菩提(無上の悟りに直に趣くこと)を、

しばらくこれを恁麼インモ(かくの如し)と言うのである。


この無上菩提のありようは、すなわち尽十方界(全ての十方の世界)

無上菩提(無上の悟り)の少しばかりである。


さらに言えば、菩提(悟り)は尽十方界よりも大きいのである。


我々もかの尽十方界の中にある調度である。


どうしてこのようであると知ったのか。


いわゆる身心はともに尽十方界に現れて(尽十方界はこの身心に現れて)

我のものではないから、そうであると知るのである。




                        合掌

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