〔『正法眼蔵』原文〕
浙東セットウ浙西セッセイの道俗、おほく讃歎す。
このこと平侍者ヘイジシャが日録ニチロクにあり。
平侍者いはく、「這シャ老和尚不可得人、那裏容易得見
〈這コの老和尚は得べからざる人、那裏ナリにか容易ヨウイに見ることを得ん〉、
たれか諸方にうけざる人ヒトあらん、一万鋌の銀子」。
ふるき人のいはく、「金銀珠玉、これをみんこと糞土のごとくみるべし」。
たとひ金銀のごとくみるとも、不受ならんは衲子の風なり。
先師にこの事あり、余人にこのことなし。
先師の会エに、西蜀セイショクの綿州人メンシュウジンにて、
道昇ドウショウとてありしは道家流ドカリュウなり。
徒儻トトウ五人ともにちかうていはく、
「われら一生に仏祖の大道を弁取すべし、さらに郷土にかへるべからず」。
先師ことに随喜して、経行キョウギョウ道業ドウゴウともに衆僧シュゾウと一如ならしむ、
その排列のときは、比丘尼のしもに排立ハイリュウす、奇代キタイの勝躅ショウチョクなり。
又福州の僧、その名善如、ちかひていはく、「善如平生ヘイゼイさらに一歩をみなみにむかひてうつすべからず、もはら仏祖の大道を参ずへし」。
先師の会に、かくのごとくのたぐひ、あまたあり。まのあたり、みしところなり、余師のところになしといへども、大宋国の僧宗ソウシュウの行持なり。
われらにこの心操なし、かなしむべし。仏法にあふときなほしかあり、
仏法にあはざらんときの身心シンジン、はぢてもあまりあり。
〔『正法眼蔵』私訳〕 浙江の東西の僧や俗人たちは多く讃嘆した。
(浙東浙西の道俗、おほく讃歎す。)
このことは、侍者の平和尚の日記に記されている。
(このこと、平侍者が日録にあり。)
平侍者は言う、「この老和尚は得難い方である。
どこでもこのような方に容易にお目にかかることはできない。
一万本の銀を、この世間で誰が受け取らない人があろうか。」。
(平侍者いはく、「這の老和尚は、不可得人なり。那裏にか容易く見ることを得ん。
たれか諸方にうけざる人あらん、一万鋌の銀子。」
〔次から道元禅師のお言葉〕
古人は言う、「金銀や珠玉、それを見るのは腐ってぼろぼろになった土のように見なければならない」。 たとえ金銀のように見えても、それを受けとらないのが禅僧の在り方である。 先師にこのことがあり、ほかの僧にはこのことがない。 (ふるき人のいはく、「金銀珠玉、これをみんこと糞土のごとくみるべし」。たとひ金銀のごとくみるとも、不受ならんは衲子の風なり。先師にこの事あり、余人にこのことなし。)
先師は常に言う、「三百年来、わたしのような善知識はまだ出たことがない、
みんなも〔名利などに超然とし、〕審細に坐禅弁道に精進しなさい」。
(先師つねにいはく、「三百年よりこのかた、わがごとくなる知識いまだいでず、諸人審細に辨道功夫すべし」。)
先師の門下に、西蜀(四川省)の綿州の人で道昇という人がおり、道教の行者であった。
仲間五人と共に誓って言った、「われわれは一生かけて仏祖の大道をものにしよう、それまでは決して郷里へは帰るまい」。
(先師の会に、西蜀の綿州人にて、道昇とてありしは道家流なり。徒儻五人、ともにちかうていはく、「われら一生に仏祖の大道を弁取すべし、さらに郷土にかへるべからず」。)
先師はことのほか喜び、経行キンヒンするときも坐禅するときも大衆と一緒にさせた。
(先師ことに随喜して、経行道業ともに衆僧と一如ならしむ。)
その並び順は、尼僧の次に配して優遇した。これは世に珍しい立派な先例である。
その排列のときは比丘尼のしもに排立す、奇代の勝躅なり。)
また、福州(福建省)の僧で、善如という人が誓って言った、
「善如は平素決して一歩でも南(郷里の方角)に向けて歩くことはすまい、
ひたすら仏祖の大道を修行しよう」。
(又福州の僧、その名善如ちかひていはく、「善如平生さらに一歩をみなみにむかひてうつすべからず、もはら仏祖の大道を参ずへし」。)
先師の門下に、このような人たちがたくさんいる。 目の当たりにしてきたところであり、他の師の所ではないけれどことであるが、大宋国の僧の本家ではこのような行持があるのである。
(先師の会に、かくのごとくのたぐひ、あまたあり。まのあたり、みしところなり、
余師のところになしといへども、大宋国の僧宗の行持なり。)
われわれにこの堅固な志がないのは悲しむべきことである。 仏法に会った今でさえこのようである、 仏法に会わない時の身心は、恥じても余りあるものである。
(われらにこの心操なし、かなしむべし、仏法にあふときなほしかあり、
仏法にあはざらんときの身心、はぢてもあまりあり。)
合掌
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