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大満禅師:慧能に付属したから、 正法の寿命が続いているのである『第十六行持下』16下-17

〔『正法眼蔵』原文〕

 第三十二祖、大満禅師は、黄梅人オウバイニンなり。

俗姓ゾクセイは周氏なり、母の姓を称ショウスルなり。

師は無父而生ムフニショなり、たとへば李老君リロウクンのごとし。


 七歳伝法よりのち、七十有四にいたるまで、仏祖正法眼蔵、よくこれを住持し、ひそかに衣法エホウを慧能行者エノウアンジャに付属フゾクする、不群の行持なり。


 衣法を神秀ジンシュウにしらせず、慧能に付属するゆゑに、正法の寿命不断なるなり。



〔『正法眼蔵』私訳〕

 釈尊から第三十二祖(中国五祖)大満弘忍コウニン禅師は黄梅県の人である。

俗の苗字は周氏であり、母の姓を名乗っていた。

師は父なくして生まれた、たとえば、老子のようである。

(第三十二祖大満禅師は黄梅人なり。俗姓は周氏なり、母の姓を称なり。

師は無父而生なり、たとへば、李老君のごとし。)


  七歳のとき四祖より正法を伝えられてから、七十四歳になるまで、仏祖の正法眼蔵涅槃妙心をよく安住護持し、親密かつ厳しく袈裟と正法眼蔵涅槃妙心を慧能行者に付属したことは、並の人ではとてもできない行持である。

(七歳伝法よりのち、七十有四にいたるまで、仏祖正法眼蔵、よくこれを住持し、ひそかに衣法を慧能行者に付属する、不群の行持なり。) 


袈裟と正法眼蔵涅槃妙心を神秀上座に知らせず、慧能に付属したから、

正法の寿命が続いているのである。

(衣法を神秀にしらせず、慧能に付属するゆゑに、正法の寿命不断なるなり。)

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