〔『正法眼蔵』原文〕
世人のなさけある、金銀珍玩チンガンの蒙恵モウケイなほ報謝す、
好語好声コウゴコウショウのよしみ、こゝろあるはみな報謝のなさけをはげむ。
如来無上の正法を見聞する大恩ダイオン、たれの人面ニンメンか、わするゝときあらん。
これをわすれざらん、一生の珍宝なり。
この行持を不退転ならん形骸髑髏ケイガイドクロは、生時死時ショウジシジ、
おなじく七宝塔におさめ、一切人天皆応供養イッサイニンデンカイオウクヨウの功徳なり。
かくのごとく大恩ありとしりなば、かならず草露ソウロの命を
いたづらに零落レイラクせしめず、如山の徳をねんごろに報ずべし。
これすなはち行持なり。
この行持の功は、祖仏として行持するわれありしなり。
おほよそ初祖・二祖、かつて精藍ショウランを草創ソウソウせず、薙草チソウの繁務なし。
および三祖・四祖もまたかくのごとし。
五祖・六祖の寺院を自草ジソウせず、青原・南嶽もまたかくのごとし。
〔『正法眼蔵』私訳〕
世間でも人情味のある人は、金銀や珍しい物をもらえば報恩感謝する。
やさしい言葉や声をかけられれば、心ある人はみな報恩感謝の心を起こすのである。
(世人のなさけある、金銀珍玩の蒙恵なほ報謝す、好語好声のよしみ、こゝろあるはみな報謝のなさけをはげむ。)
如来の無上の正法を見聞した大恩を、人間なら誰が忘れることがあろうか。
これを忘れないことは、一生の貴重な宝である。
(如来無上の正法を見聞する大恩、たれの人面か、わするゝときあらん。これをわすれざらん、一生の珍宝なり)
この行持を怠らずつとめぬいた亡骸や髑髏は、生きている時も死んでからも同じく七宝の塔に収め、一切の人間界・天上界の衆生がみな供養すべき功徳があるのである。
(この行持を不退転ならん形骸髑髏は、生時死時、おなじく七宝塔におさめ、一切人天皆応供養の功徳なり。)
このように大恩があると知れば、草露の命を無駄に落とすようなことはせず、
山のごとき恩徳にねんごろに報いなければならない。
これがとりもなおさず行持なのである。
(かくのごとく大恩ありとしりなば、かならず草露の命をいたづらに零落せしめず、如山の徳をねんごろに報ずべし。これすなはち行持なり。)
この行持の功徳は、祖師や諸仏として行持するわれがあるということである。
(この行持の功は、祖仏として行持するわれありしなり。)
およそ初祖達磨大師や二祖慧可は、決して寺院を創設したり、山野を切り開くような繁務はなかった。また三祖鑑智僧璨や四祖大医道信も同様であった。
五祖大満弘忍や六祖大鑑慧能も寺院を自ら創建することなく、
青原行思や南嶽懐譲もまた同様であった。
(おほよそ初祖二祖、かつて精藍を草創せず、薙草の繁務なし。および三祖四祖もまたかくのごとし。五祖六祖の寺院を自草せず、青原・南嶽もまたかくのごとし。)
合掌
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