〔『正法眼蔵』原文〕
いはゆる「坐禅箴」の「箴」は、大用現前ダイヨウゲンゼンなり、
声色向上威儀ショウシキコウジョウイイギなり、父母未生前フボミショウゼンの節目なり。
莫謗仏祖好マクボウブッソコウ《仏祖を謗ずること莫くんば好し》なり、
未免喪身失命ミメンソウシンシツメイ《未だ免れず喪身失命することを》なり、
頭長トウチョウ三尺頚長ケイチョウ二寸なり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
ここで言う「坐禅箴ザゼンシン」の「箴(いましめ)」は、
大いなるはたらきが目の前に現れるありようであり、
享受されるままが無上のありようであり、
父母から生まれる前の本来の面目(思量分別が生じる前のありよう)である。
(いはゆる「坐禅箴」の「箴」は、大用現前なり、声色向上威儀なり、
父母未生前の節目なり。)
仏祖をそしることがなければ好しということであり、
坐禅すれば日頃の身心は必ず脱落するということであり、
坐禅の頭は長く首は短い(長いものは長い短いものは短い)
というように今の様子のままにいることである。
(仏祖を謗ずること莫くんば好しなり、未だ免れず喪身失命することをなり、
頭長三尺頚長二寸なり。)
合掌
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