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図作仏=坐禅の様子が仏です『第十二坐禅箴』12-4-3a

〔『正法眼蔵』原文〕

江西いはく、『図作仏ズサブツ』。


この道、あきらめ達すべし。


作仏と道取するは、いかにあるべきぞ。


ほとけに作仏せらるるを作仏と道取するか、

ほとけを作仏するを作仏と道取するか、

ほとけの一面出、両面出するを作仏と道取するか



〔『正法眼蔵』私訳〕

〔南嶽に「大徳、坐禅して箇の何をか図る(坐禅して何を図るのか)と問われて、〕

馬祖が答えた、「坐禅の様子が仏です」。」

(江西いはく、「図作仏」。)


この言葉を、明らかにし本当にそうだと合点しなければならない。

(この道、あきらめ達すべし。)


作仏と言うのは、どういうことか。

(作仏と道取するは、いかにあるべきぞ。)


仏に仏にされることを作仏と言うのか、

仏を仏にすることを作仏と言うのか、

仏の面目がその時その時に現れるのを作仏と言うのか。

(ほとけに作仏せらるるを作仏と道取するか、ほとけを作仏するを作仏と道取するか、

ほとけの一面出、両面出するを作仏と道取するか。)


〔その時その時の様子が現れる(ほとけの一面出、両面出する〉ことは、

誰でもが日常行っている通りのことです。

その時その時の様子だけがあり、不足も余分なものもありません。

そういう生活をしているところに、仏の境界がえるのでしょう。〕


 図作仏=坐禅の様子が仏です『第十二坐禅箴』12-4-3b

                        合掌


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