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世界が崩壊する正にその時は『第九古仏心』完 9-4-2a

〔『正法眼蔵』原文〕

自己に参学せざるゆゑに、崩壞の正当恁麼時ショウトウインモジは、

一条両条、三四五条なるがゆゑに無尽条ムジンジョウなり。


かの条々、それ寧無我身ネイムガシンなり。我身は寧無なり。


而今ニコンを自惜ジシャクして、我身を古仏心ならしめざることなかれ。


まことに七仏以前に古仏心壁竪ヘキジュす、

七仏以後に古仏心才生サイショウす、

諸仏以前に古仏心花開カカイす、

諸仏以後に古仏心結果す、

古仏心以前に古仏心脱落なり。



〔『正法眼蔵』私訳〕

自己に参学しないから、世界が崩壊する正にその時は、

一つ一つがどこまでも壊れてしまうのである。

(自己に参学せざるゆゑに、崩壞の正当恁麼時は、

一条二条、三四五条なるがゆゑに無尽条なり。)


その一つ一つ、寧ムシろ無いのが我が身である。我が身は寧ろないのである。

(かの条々、それ寧無我身なり。我身は寧無なり。)

〔あるのは古仏心だけである。〕


今のこの身に執着して、

我が身を古仏心にならないようにしてはいけない。

(而今を自惜して、我身を古仏心ならしめざることなかれ。) 

〔この父母所生の身をすぐに古仏心にしなければならない。〕


誠に七仏以前に古仏心が、千万丈もの高さで壁のようにそびえ立ち

七仏以後に古仏心が、芽生え、

諸仏以前に古仏心が、花(古仏心)を開き、

諸仏以後に古仏心が、実(古仏心)を結び、

古仏心以前に古仏心が、解脱するのである。

(まことに七仏以前に古仏心壁竪す、七仏以後に古仏心才生す、

諸佛以前に古仏心花開す、諸佛以後に古仏心結果す、古仏心以前に古仏心脱落なり。)



〔『正法眼蔵』原文〕

正法眼蔵古仏心第九

爾時ニイジ寛元元年癸ミズノト四月二十九日在六波羅蜜寺示衆

寛元二年甲キノエタツ五月十二日在越州吉峰庵下侍司書写 懐弉エジョウ


〔『正法眼蔵』私訳〕

正法眼蔵涅槃妙心第九巻古仏心

時に西暦1243年4月29日、京都の六波羅蜜寺で大衆に説いた。

西暦1244年5月12日、福井の吉峰寺侍司寮で書写した。 懐弉



                           合掌

世界が崩壊する正にその時は『第九古仏心』完9-4-2b


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