スキップしてメイン コンテンツに移動

山上で猿が啼き、露は真夜中の月を濡らす『第十六行持下』16下-15-4

 

 又況活計具足、風景不疎、華解笑、鳥解啼、木馬長鳴、石牛善走、天外之青山寡色、耳畔之鳴泉無声、嶺上猿啼、露湿中霄之月。林間鶴唳、風回清暁之松、春風起時枯木龍吟、秋葉凋而寒林花散、玉階鋪苔蘚之紋、人面帯煙霞之色。音塵寂爾、消息宛然。一味蕭条、無可趣向。


 《又況や活計具足し、風景疎ならず、華は笑ワラうことを解し、鳥は啼くことを解す、木   

 馬長トコシナへに鳴き、石牛善く走る、天外テンガイの青山セイザンイロスクナく、耳畔ニハンの鳴泉    

 メイセン声無し、嶺上レイジョウ猿啼ナイいて露中霄チュウショウの月を湿ウルオし、林間鶴唳ツルナいて風清暁

 カゼセイギョウの松を回メグる、春風起れば時ココニ枯木龍吟コボクリュウギンし、秋葉凋シボめば而スナワチ寒   

 林花散ず、玉階苔蘚ギョクカイタイセンの紋を鋪き、人面煙霞ニンメンエンカの色を帯ぶ、音塵寂爾オン  

 ジンジャクニとして、消息宛然エンネンたり、一味蕭条ショウジョウとして、趣向すべき無し。》



〔聞書私訳〕

/「華は笑くことを解し、鳥啼くことを解す。木馬長く鳴き、石牛善く走る。天外の青山色寡く、耳畔の鳴泉声無し」などというのは、これはみな悟道の上の言葉である。


花が笑み、鳥が啼くのは世の常のことであるが、木馬がどうして長く鳴き、石牛がどうして走るのかなどと思ってはいけない。

花が笑み、鳥が鳴き、木馬が鳴くのも同じように理解すべきである。


すでに「天外の青山」という。陰陽の外(悟道の上)のことである。。



〔『正法眼蔵』私訳〕

 また、いわんや修行生活は十分に整っており、風景も細やかに備わっている、

(又況んや活計具足し、風景疎ならず、)


花は咲くことを知っており、鳥は啼くことを知っている、木馬は大いに嘶イナナき、石牛はよく走る、

(華は笑くことを解し、鳥啼くことを解す、木馬長く鳴き、石牛善く走る、)


天井の青山はうすく霞んで見え、音を立てて流れる泉は耳に心地よい。

(天外の青山色寡く、耳畔の鳴泉声無し、)


山上で猿が啼き、露は真夜中の月を濡らす。

(嶺上猿啼て、露中霄の月を濕し、)


林間に鶴が鳴き、風は明け方の松をめぐる。

(林間鶴唳て、風清暁の松を回る、)


春風が起こると枯木が命を吹き返し、秋になると葉はしぼみ落ちて寂しい林に紅葉を散らす。

(春風起る時、枯木龍吟し、秋葉凋めば而寒林花散ず、)


石段は鮮やかに苔の模様を広げ(人の気配がない久遠の消息)、僧の顔は煙霞のような色を帯び(而今の消息)、物音もなく静まり返って、たった今の在りようはその通り(観念も記憶もない)であり、ただ静寂があるだけで、追い求めるものは何も無い。

(玉階苔蘚の紋を鋪き、人面煙霞の色を帯ぶ、音塵寂爾として、消息宛然たり。一味蕭條として、趣向すべき無し。)



〔『正法眼蔵』評釈〕

 華解笑、鳥解啼、木馬長鳴、石牛善走、天外之青山寡色、耳畔之鳴泉無声、嶺上猿啼、露湿中霄之月、林間鶴唳風回清暁之松、春風起時枯木龍吟、秋葉凋而寒林花散、玉階鋪苔蘚之紋、人面帯煙霞之色。


これらの十二カ条が我々の修行の在りようであり、同時に我々にそなわっている功徳ではないでしょうか。道元禅師のありがたいお示しです、暖かい身心です。そのようにわたしには思われます。



                            合掌

ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                           

     ↓               ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ   にほんブログ村PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント

このブログの人気の投稿

尽十方界は沙門の眼である『第十五光明』15-1-1a

  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 〔『正法眼蔵』原文〕  大宋国湖南長沙 チョウシャ 招賢大師、上堂示衆云 ジシュウニイワク    尽十方界、是沙門眼。《尽十方界、是れ沙門の眼》    尽十方界、是沙門家常語。《尽十方界、是れ沙門の家常語》    尽十方界、是沙門全身。《尽十方界、是れ沙門の全身》    尽十方界、是自己光明。《尽十方界、是れ自己の光明》    尽十方界、在自己光明裏。《尽十方界、自己の光明裏に在り》    尽十方界、無一人不是自己。《尽十方界、一人として是れ自己にあらざる無し》  仏道の参学、かならず勤学 ゴンガク にすべし。 転疎転遠 テンソテンノン なるべからず。 これによりて光明を学得せる作家 ソカ 、まれなるものなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 大宋国湖南の長沙景岑招賢大師が、法座に上って大衆に示して言う、 (大宋国湖南長沙招賢大師、上堂示衆云) 尽十方界 (全世界) は、沙門 (修行僧) の眼 (私がなく見えるままの眼) である。 (尽十方界、是れ沙門の眼) 尽十方界は、沙門の日常の語である。 (尽十方界、是れ沙門の家常語) 尽十方界は、沙門の全身である。 (尽十方界、是れ沙門の全身) 尽十方界は、自己の光明である。 (尽十方界、是れ自己の光明) 尽十方界は、自己の光明の中にある。 (尽十方界、自己の光明裏に在り) 尽十方界は、一人として尽十方界が自己でないものはいない。 (尽十方界、一人として是れ自己にあらざる無し) 仏道の参学は、必ず熱心に光明を修行すべきである。 (仏道の参学、かならず勤学にすべし。) 光明と疎遠であってはならない。 (転疎転遠なるべからず。) 光明と疎遠であって光明を自己のものにできた 作家 (仏道に弟子を導くことができる優れた師家) は、希なものである。 (これによりて光明を学得せる作家、まれなるものなり。) 尽十方界は沙門の眼である『第十五光明』15-1-1b                    合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村

人間の目の素晴らしい働き 番外編

  皆さんのご参考になるかもしれない動画に出会いました。こちらを何度もご覧になり、素晴らしい実感を味わってみてください。 動画: 正法眼蔵(人間の目の素晴らしい働き) 尚、ご参考までに以下文字起こしをしました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆さんこんにちは、安穏寺チャンネルを ご覧いただきましてありがとうご ざいます。チャンネル名は毎回変わるかもしれませ んけれどもご容赦ください。今日はですね、我々の人間のこの目の働きを通してある、我々が気がつかないでいる素晴らしい力に ついて勉強してまいりたいと思います。  まず初めにですね、一度目を閉じてみて ください。で、ゆっくり開けます。 もう一度目を閉じます。で、目をゆっくり開け て ください。で、そこで最初に行われていること をよく観察してみてください。目というものは見る前にですね、写るという働きが先に あるんじゃないでしょうか。よくよく皆さん やってみてください。 目をまず閉じます。で、見ようとしてみてください。ぐーっと 今目を閉じてますから見えませんね。目を開けます、そうすると見るよりも先に写し出さ れるということが先にありませんか。この写し出される、写るという働きには私がありません。 自分が例えばキョロキョロあっちを 見ようとかですね、こっちを見ようとする ことは自分が自分で焦点を合わせようとしてますから、自分の意でそこに焦点を 合わせようとしてますですけれども、もう 一度目を閉じてください。目を閉じて ゆっくりと開けてみてください。見る前に写っている写し出されているということが がありませんか。 私たちの目という働き、目というものの力、働きはですね、そのこの我々の体の前にあることを、こうある角度で写し出す素晴らしい力 があります。目というレンズですね、皆さんのお持ちのカメラやスマートフォンや ムービーなどのレンズもですね、そのものをですねそのまま写し出す力があります。 写真 という言葉がありますが、真実を写すという、真実を写す本当の我々の素晴らしい働き、このマナコなん です。今のこの映像というものは今の皆さん の目がこう写し出すこの時しかないですね。この動画はもう過去のものでございますから、今私は別のところに行ってご飯とか 食べてるかもしれませんですが、今...

華もまたかつて生じたことがない『第十四空華』14-4-8a

〔『正法眼蔵』原文〕  祖師いはく、「華亦不曽生 ケヤクフスンショウ 」。 この宗旨の現成、たとへば華亦不曽生、花亦不曽滅なり。 花亦不曽花なり、空亦不曽空の道理なり。 華時の前後を胡乱 ウロン して、有無の戯論 ケロン あるべからず。 華はかならず諸色にそめたるがごとし、 諸色かならずしも華にかぎらず。 諸時また青黄赤白 ショウオウシャクビャク 等のいろあるなり。 春は花をひく、華は春をひくものなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 祖師 (二祖慧可大師) は言う、 「華もまたかつて生じたことがない」。 〔祖師いはく、「華亦不曽生」。〕 これが現わす根本の趣旨は、たとえば、華もまたかつて生じたことがなく、花もまたかつて滅したことがないということである。 〔この宗旨の現成、たとへば華亦不曽生、花亦不曽滅なり。〕 花もまたかつて花ではなく、空もまたかつて空ではない道理である。 〔花亦不曽花なり、空亦不曽空の道理なり。〕 華が咲くときの前後を間違って考え、昨日までは無かった華が今日有るかのような無意味な議論をしてはならない。 〔華時の前後を胡乱して、有無の戯論あるべからず。〕 華は必ずいろいろの色に染まっているようであるが、 いろいろの色は必ずしも華に限ったことではない。 〔華はかならず諸色にそめたるがごとし、諸色かならずしも華にかぎらず。〕 〔春に春の色、秋に秋の色があるように、〕 それぞれの時にまた青・黄・赤・白などの色があるのである。 〔諸時また青黄赤白等のいろあるなり。) 春は華を咲かせ、華は春を導くものなのである。 〔春は花をひく、華は春をひくものなり。〕 華もまたかつて生じたことがない『第十四空華』14-4-7b                          合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村