又況活計具足、風景不疎、華解笑、鳥解啼、木馬長鳴、石牛善走、天外之青山寡色、耳畔之鳴泉無声、嶺上猿啼、露湿中霄之月。林間鶴唳、風回清暁之松、春風起時枯木龍吟、秋葉凋而寒林花散、玉階鋪苔蘚之紋、人面帯煙霞之色。音塵寂爾、消息宛然。一味蕭条、無可趣向。
《又況や活計具足し、風景疎ならず、華は笑ワラうことを解し、鳥は啼くことを解す、木
馬長トコシナへに鳴き、石牛善く走る、天外テンガイの青山セイザン寡色イロスクナく、耳畔ニハンの鳴泉
メイセン声無し、嶺上レイジョウ猿啼ナイいて露中霄チュウショウの月を湿ウルオし、林間鶴唳ツルナいて風清暁
カゼセイギョウの松を回メグる、春風起れば時ココニ枯木龍吟コボクリュウギンし、秋葉凋シボめば而スナワチ寒
林花散ず、玉階苔蘚ギョクカイタイセンの紋を鋪シき、人面煙霞ニンメンエンカの色を帯オぶ、音塵寂爾オン
ジンジャクニとして、消息宛然エンネンたり、一味蕭条ショウジョウとして、趣向すべき無し。》
〔聞書私訳〕
/「華は笑くことを解し、鳥啼くことを解す。木馬長く鳴き、石牛善く走る。天外の青山色寡く、耳畔の鳴泉声無し」などというのは、これはみな悟道の上の言葉である。
花が笑み、鳥が啼くのは世の常のことであるが、木馬がどうして長く鳴き、石牛がどうして走るのかなどと思ってはいけない。
花が笑み、鳥が鳴き、木馬が鳴くのも同じように理解すべきである。
すでに「天外の青山」という。陰陽の外(悟道の上)のことである。。
〔『正法眼蔵』私訳〕
また、いわんや修行生活は十分に整っており、風景も細やかに備わっている、
(又況んや活計具足し、風景疎ならず、)
花は咲くことを知っており、鳥は啼くことを知っている、木馬は大いに嘶イナナき、石牛はよく走る、
(華は笑くことを解し、鳥啼くことを解す、木馬長く鳴き、石牛善く走る、)
天井の青山はうすく霞んで見え、音を立てて流れる泉は耳に心地よい。
(天外の青山色寡く、耳畔の鳴泉声無し、)
山上で猿が啼き、露は真夜中の月を濡らす。
(嶺上猿啼て、露中霄の月を濕し、)
林間に鶴が鳴き、風は明け方の松をめぐる。
(林間鶴唳て、風清暁の松を回る、)
春風が起こると枯木が命を吹き返し、秋になると葉はしぼみ落ちて寂しい林に紅葉を散らす。
(春風起る時、枯木龍吟し、秋葉凋めば而寒林花散ず、)
石段は鮮やかに苔の模様を広げ(人の気配がない久遠の消息)、僧の顔は煙霞のような色を帯び(而今の消息)、物音もなく静まり返って、たった今の在りようはその通り(観念も記憶もない)であり、ただ静寂があるだけで、追い求めるものは何も無い。
(玉階苔蘚の紋を鋪き、人面煙霞の色を帯ぶ、音塵寂爾として、消息宛然たり。一味蕭條として、趣向すべき無し。)
〔『正法眼蔵』評釈〕
華解笑、鳥解啼、木馬長鳴、石牛善走、天外之青山寡色、耳畔之鳴泉無声、嶺上猿啼、露湿中霄之月、林間鶴唳風回清暁之松、春風起時枯木龍吟、秋葉凋而寒林花散、玉階鋪苔蘚之紋、人面帯煙霞之色。
これらの十二カ条が我々の修行の在りようであり、同時に我々にそなわっている功徳ではないでしょうか。道元禅師のありがたいお示しです、暖かい身心です。そのようにわたしには思われます。
合掌
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