〔『正法眼蔵』私訳〕
このゆゑに、寒苦をおづることなかれ。
寒苦いまだ人をやぶらず、寒苦いまだ道をやぶらず。
ただ不修フシュをおづべし、不修それ人をやぶり、道をやぶる。
暑熱をおづることなかれ、暑熱いまだ人をやぶらず、
暑熱いまだ道をやぶらず。
不修よく人をやぶり、道をやぶる。
麦をうけ、蕨ワラビをとるは、道俗の勝躅ショウチョクなり。
血をもとめ、乳をもとめて、鬼畜にならはざるべし。
たゞまさに行持なる一日は、諸仏の行履アンリなり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
それ故に、寒苦を恐れてはならない。
いまだ寒苦が人を壊コワしたことも、寒苦が仏道を壊したこともない。
(このゆゑに、寒苦をおづることなかれ。
寒苦いまだ人をやぶらず、寒苦いまだ道をやぶらず。)
ただ修行しないことを恐れるべきである。
修行しないことが人を壊し、仏道を壊すのである。
(ただ不修をおづべし、不修それ人をやぶり、道をやぶる。)
だから、暑熱を恐れてはならない。
いまだ暑熱が人を壊したことはない、暑熱が仏道を壊したこともない。
(暑熱をおづることなかれ。暑熱いまだ人をやぶらず。暑熱いまだ道をやぶらず。)
修行しないことが人を壊し、仏道を壊すのである。
(不修よく人をやぶり、道をやぶる。)
釈尊が麦の供養を受けて一夏を過ごしたことや、兄弟が山中に隠れてわらびを取って過ごしたことは、出家と俗人の勝れた先例である。
(麦をうけ、蕨をとるは、道俗の勝躅なり。)
血を求め乳を求めて、餓鬼や畜生の真似をしてはいけない。
(血をもとめ、乳をもとめて、鬼畜にならはざるべし。)
ただ正に行持がある一日は、諸仏の生活である。
(たゞまさに行持なる一日は、諸仏の行履なり。)
合掌
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