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雪峰:怠ることなく坐禅を死ぬほどつとめた『第十六行持』16-22-1a

〔『正法眼蔵』原文〕 

 雪峰セッポウ真覚大師シンガク ダイシ義存和尚ギソン オショウ

かつて発心ホッシンよりこのかた、掛錫カシャクの叢林ソウリンおよび行程コウテイの接待、

みちはるかなりといへども、ところをきらはず、日夜の坐禅おこたることなし。


雪峰草創の露堂々ロドウドウにいたるまで、おこたらずして坐禅と同死ドウシす。


咨参シサンのそのかみは、九上キュウジョウ洞山トウザン、三到サントウ投子トウスする、

希世キセイの弁道なり。


行持の清厳セイゲンをすすむるには、いまの人、おほく雪峰高行コウギョウといふ。


雪峰の昏昧コンマイは諸人とひとしといへども、

雪峰の伶俐レイリは諸人のおよぶところにあらず。これ行持のしかあるなり。


いまの道人ドウニン、かならず雪峰の澡雪ソウセツをまなぶべし。


しづかに雪峰の諸方に参学せし筋力キンリキをかへりみれば、

まことに宿有霊骨シュクウレイコツの功徳なるべし。



〔『正法眼蔵』私訳〕

雪峰山の真覚大師義存和尚は、かつて発心して以来、錫杖をとどめて修行した禅林及び行脚の雲水の接待所(無料宿泊所)への道中がどんなに長くても、

どんなところでも、日夜の坐禅を怠ることはなかった。

(雪峰真覚大師義存和尚、かつて発心よりこのかた、掛錫の叢林および行程の接待、

みちはるかなりといへども、ところをきらはず、日夜の坐禅おこたることなし。)


雪峰山に禅林を創設し世間に知られて大禅林になるまで、

怠ることなく坐禅を死ぬほどつとめた。

(雪峰草創の露堂々にいたるまで、おこたらずして坐禅と同死す。)


師家に就いて聞法したそのころは、九度洞山禅師に随身し、

三度投子禅師に随身した。世にもまれな仏道修行である。               

(咨参のそのかみは、九上洞山、三到投子する、希世の辨道なり。)


清廉で厳正な行持を勧めるときには、

今の師家は、多く雪峰の優れた行持と言って勧める。

(行持の清厳をすすむるには、いまの人、おほく雪峰高行といふ。)


得道前の雪峰の暗愚さは多くの人と同じであるが、

得道後の雪峰の怜悧さは、とても多くの人の及ぶところではない。

(雪峰の昏昧は諸人とひとしといへども、雪峰の伶俐は諸人のおよぶところにあらず。)


これは雪峰の行持がそうなのである。出家入道の人は、

必ず雪峰の洗い上げすすぎ上げた行持を学ばなければいけない。

(これ行持のしかあるなり。いまの道人、かならず雪峰の澡雪をまなぶべし。)


静かに、雪峰が諸方の師に就いて参禅学道した骨折りを顧みると、

実に前世で積んだ善行の果報によるものであろう。

(しづかに雪峰の諸方に参学せし筋力をかへりみれば、まことに宿有霊骨の功徳なるべし。)




              合掌


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