〔『聞書』私訳〕
/唐の宣宗皇帝。
/「不著仏求、不著法求、不著僧求、長老用礼何為」。 この問答は、それをそれと言うのである。「清浄本然、云何忽生山河大地」というほどの問答である。
「太麁生」、これは「一掌」するのを放置せず、はなはだあらいと言うのである。
〔『抄』私訳〕
唐の宣宗皇帝の段、文の通りである。
「心風なり」とは、物狂いであるという意味である。「
沙弥」「智閑禅師をともとして遊方するに、廬山にいたる」に、「智閑」が「沙弥」を試そうとして「瀑布を題していはく」、『穿崖透石不辞労、遠地方知出処高』。この両句をもて、沙弥を釣他して、これいかなる人ぞとみんとするなり。沙弥これを続していはく、『渓澗豈能留得住、終帰大海作波濤』。この両句をみて、沙弥はこれつねの人にあらずとしりぬ」。
「黄檗、ときに仏殿にいたりて礼仏するに、書記いたりてとふ、『不著仏求゙、不著法求、不著僧求、長老用礼何為』。かくのごとく問著するに、黄檗便掌して、沙弥書記にむかひて道す、『不著仏求、不著法求、不著僧求。常礼如是事』。かくのごとく道しをはりて、又掌すること一掌す。書記いはく、『太麁生なり』」。
これは「如何なるか風性常住無所不周底」と問うと、和尚が重ねて扇を使ったほどの道理である。
「黄檗いはく、『遮裏是什麽所在、更説什麽麁細』。また書記を掌すること一掌す。書記ちなみに休去す。武宗ののち、書記つひに還俗して即位す」。
唐の憲宗皇帝
――穆宗 長慶四年崩御
―宣宗 武宗即位の時、「宣宗をめして、昔日ちゝのくらゐにのぼりし
ことを罰して、一頓打殺して、後華園のなかにおきて、
不浄を灌するに復生す」。
「つひに父王の邦をはなれて、ひそかに香厳の閑禅師の会に参じ
て、沙弥となりぬ。しかあれども、いまだ不具戒なり」。
「のちに杭州塩官斉安国師の会にいたりて、書記に」なった。「黄
檗」は「ときに塩官の首座」であった。「黄檗」と「書記」は
「連単なり」。
穆宗―――憲宗皇帝の子
――敬宗 「父の位を継いで」即位、即位の後「三年に崩」御する。
――文宗 「継位」して「一年」で、「内臣謀而、これを易す」。
――武宗 その後「即位」、「会昌の天子」と名付ける。「仏法を廃せ
し人なり」。
合掌
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