〔『正法眼蔵』原文〕
江西コウゼイ馬祖バソの坐禅することは二十年なり。
これ南嶽の密印を稟受ボンジュするなり。
伝法済人デンポウ サイニンのとき、坐禅をさしおくと道取せず。
参学のはじめていたるには、かならず心印を密受せしむ。
普請作務フシン サムのところに、かならず先赴センプす。
老にいたりて懈惓ケゲンせず。いまの臨済リンザイは江西の流リュウなり。
〔『正法眼蔵』私訳〕 江西コウゼイ(揚子江中流の南岸の地)の馬祖道一禅師は、
坐禅をつとめること二十年であった。
(江西馬祖の坐禅することは二十年なり。)
その坐禅は南嶽懐譲禅師から親しく仏心印(仏の心そのもの)を受け取ったのである。
(これ南嶽の密印を稟受するなり。)
法を伝え人を救うとき、坐禅を差し置くと言わず坐禅のしづめであった。
(伝法済人のとき、坐禅をさしおくと道取せず。)
参禅学道の雲水がはじめて来たときには、
必ず坐禅をさせ仏心印を親しく受けさせた。
(参学のはじめていたるには、かならず心印を密受せしむ。)
大衆ダイシュ全員を請ショウして行う作務のときには、必ず率先して赴いた。
(普請作務のところに、かならず先赴す。)
老年になっても怠ることはなかった。
(老にいたりて懈惓せず。)
今の臨済宗は、この江西の流れである。
(いまの臨済は江西の流なり。)
〔『抄』私訳〕
「江西馬祖」の段、文の通りである。
合掌
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