スキップしてメイン コンテンツに移動

六祖は木こりで、学問があるとは言えなかった『正法眼蔵第十六行持』16-5

『正法眼蔵』原文〕

 六祖は新州の樵夫ショウフなり、有識ユウシキと称しがたし。


いとけなくして父を喪ソウす、老母に養育せられて長ぜり。


樵夫の業を養母の活計とす。


十字の街頭にして一句の聞経よりのち、

たちまちに老母をすてて大法をたづぬ。


これ奇代キダイの大器ダイキなり、抜群の辨道なり。


断臂ダンピたとひ容易なりともこの割愛は大難ダイナンなるべし、

この棄恩はかろかるべからず。


黄梅オウバイの会に投じて、八箇月ねぶらずやすまず、昼夜に米をつく。


夜半に衣鉢エハツを正伝ショウデンす。得法已後 イゴ

なほ石臼イシウスをおひありきて、米をつくこと八年なり。


出世度人ドニン説法するにも、この石臼をさしおかず、希世キセイの行持なり。  

                                           『正法眼蔵』私訳〕       

中国禅の六祖大鑑慧能禅師は、新州(広東省)の木こりで、学問があるとは言えなかった。

(六祖は新州の樵夫なり、有識と称しがたし。)


幼くして父を失い、老母に養育されて成長した。

(いとけなくして父を喪す、老母に養育せられて長ぜり。)                       

木こりの業を老母を養うための生業ナリワイとしていた。

(樵夫の業を養母の活計とす。)


あるとき市井の四つ辻で『金剛経』の一句を聞いてから、

急に老母を捨てて、すぐれた仏の教法を求めた。

(十字の街頭にして一句の聞経よりのち、たちまちに老母をすてて大法をたづぬ。)            

これは世にもまれな優れた器量であり、抜群の仏道修行である。

(これ奇代の大器なり、抜群の辨道なり。)


〔二祖慧可大師が求道のために〕臂を断ったことが、〔容易なことでないことは決まりきっているけれども、〕仮に容易なことであったとしても、

この母の恩愛を断つことは非常に難しいことであり、

この母の大恩を棄てたことは決して軽いことではない。

(断臂たとひ容易なりともこの割愛は大難なるべし、この棄恩はかろかるべからず。)              

黄梅山の五祖大満弘忍禅師の会下に加わって、八か月眠らず休まず、

昼夜にわたって米をついた(無上道を修行しぬいた)

(黄梅の会に投じて、八箇月ねぶらずやすまず、昼夜に米をつく。)


ある夜中に、〔達磨所伝の〕袈裟と応量器を〔伝法のあかしとして五祖弘忍禅師から〕正伝した。

(夜半に衣鉢を正伝す。)                            


法を得た後も、なお石臼を背負い歩いて、米をつくこと八年に及んだ。

(得法已後、なほ石臼をおひありきて、米をつくこと八年なり。)


世に出て人を救い法を説くようになっても、この石臼を離さなかった。

これは世にも稀な行持である。

(出世度人説法するにも、この石臼をさしおかず、希世の行持なり。)



〔『抄』私訳〕

第六祖の段、文の通りである。      


                合掌


ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                           


     ↓               ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ   にほんブログ村PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント

このブログの人気の投稿

尽十方界は沙門の眼である『第十五光明』15-1-1a

  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 〔『正法眼蔵』原文〕  大宋国湖南長沙 チョウシャ 招賢大師、上堂示衆云 ジシュウニイワク    尽十方界、是沙門眼。《尽十方界、是れ沙門の眼》    尽十方界、是沙門家常語。《尽十方界、是れ沙門の家常語》    尽十方界、是沙門全身。《尽十方界、是れ沙門の全身》    尽十方界、是自己光明。《尽十方界、是れ自己の光明》    尽十方界、在自己光明裏。《尽十方界、自己の光明裏に在り》    尽十方界、無一人不是自己。《尽十方界、一人として是れ自己にあらざる無し》  仏道の参学、かならず勤学 ゴンガク にすべし。 転疎転遠 テンソテンノン なるべからず。 これによりて光明を学得せる作家 ソカ 、まれなるものなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 大宋国湖南の長沙景岑招賢大師が、法座に上って大衆に示して言う、 (大宋国湖南長沙招賢大師、上堂示衆云) 尽十方界 (全世界) は、沙門 (修行僧) の眼 (私がなく見えるままの眼) である。 (尽十方界、是れ沙門の眼) 尽十方界は、沙門の日常の語である。 (尽十方界、是れ沙門の家常語) 尽十方界は、沙門の全身である。 (尽十方界、是れ沙門の全身) 尽十方界は、自己の光明である。 (尽十方界、是れ自己の光明) 尽十方界は、自己の光明の中にある。 (尽十方界、自己の光明裏に在り) 尽十方界は、一人として尽十方界が自己でないものはいない。 (尽十方界、一人として是れ自己にあらざる無し) 仏道の参学は、必ず熱心に光明を修行すべきである。 (仏道の参学、かならず勤学にすべし。) 光明と疎遠であってはならない。 (転疎転遠なるべからず。) 光明と疎遠であって光明を自己のものにできた 作家 (仏道に弟子を導くことができる優れた師家) は、希なものである。 (これによりて光明を学得せる作家、まれなるものなり。) 尽十方界は沙門の眼である『第十五光明』15-1-1b                    合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村

人間の目の素晴らしい働き 番外編

  皆さんのご参考になるかもしれない動画に出会いました。こちらを何度もご覧になり、素晴らしい実感を味わってみてください。 動画: 正法眼蔵(人間の目の素晴らしい働き) 尚、ご参考までに以下文字起こしをしました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・皆さんこんにちは、安穏寺チャンネルを ご覧いただきましてありがとうご ざいます。チャンネル名は毎回変わるかもしれませ んけれどもご容赦ください。今日はですね、我々の人間のこの目の働きを通してある、我々が気がつかないでいる素晴らしい力に ついて勉強してまいりたいと思います。  まず初めにですね、一度目を閉じてみて ください。で、ゆっくり開けます。 もう一度目を閉じます。で、目をゆっくり開け て ください。で、そこで最初に行われていること をよく観察してみてください。目というものは見る前にですね、写るという働きが先に あるんじゃないでしょうか。よくよく皆さん やってみてください。 目をまず閉じます。で、見ようとしてみてください。ぐーっと 今目を閉じてますから見えませんね。目を開けます、そうすると見るよりも先に写し出さ れるということが先にありませんか。この写し出される、写るという働きには私がありません。 自分が例えばキョロキョロあっちを 見ようとかですね、こっちを見ようとする ことは自分が自分で焦点を合わせようとしてますから、自分の意でそこに焦点を 合わせようとしてますですけれども、もう 一度目を閉じてください。目を閉じて ゆっくりと開けてみてください。見る前に写っている写し出されているということが がありませんか。 私たちの目という働き、目というものの力、働きはですね、そのこの我々の体の前にあることを、こうある角度で写し出す素晴らしい力 があります。目というレンズですね、皆さんのお持ちのカメラやスマートフォンや ムービーなどのレンズもですね、そのものをですねそのまま写し出す力があります。 写真 という言葉がありますが、真実を写すという、真実を写す本当の我々の素晴らしい働き、このマナコなん です。今のこの映像というものは今の皆さん の目がこう写し出すこの時しかないですね。この動画はもう過去のものでございますから、今私は別のところに行ってご飯とか 食べてるかもしれませんですが、今...

華もまたかつて生じたことがない『第十四空華』14-4-8a

〔『正法眼蔵』原文〕  祖師いはく、「華亦不曽生 ケヤクフスンショウ 」。 この宗旨の現成、たとへば華亦不曽生、花亦不曽滅なり。 花亦不曽花なり、空亦不曽空の道理なり。 華時の前後を胡乱 ウロン して、有無の戯論 ケロン あるべからず。 華はかならず諸色にそめたるがごとし、 諸色かならずしも華にかぎらず。 諸時また青黄赤白 ショウオウシャクビャク 等のいろあるなり。 春は花をひく、華は春をひくものなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 祖師 (二祖慧可大師) は言う、 「華もまたかつて生じたことがない」。 〔祖師いはく、「華亦不曽生」。〕 これが現わす根本の趣旨は、たとえば、華もまたかつて生じたことがなく、花もまたかつて滅したことがないということである。 〔この宗旨の現成、たとへば華亦不曽生、花亦不曽滅なり。〕 花もまたかつて花ではなく、空もまたかつて空ではない道理である。 〔花亦不曽花なり、空亦不曽空の道理なり。〕 華が咲くときの前後を間違って考え、昨日までは無かった華が今日有るかのような無意味な議論をしてはならない。 〔華時の前後を胡乱して、有無の戯論あるべからず。〕 華は必ずいろいろの色に染まっているようであるが、 いろいろの色は必ずしも華に限ったことではない。 〔華はかならず諸色にそめたるがごとし、諸色かならずしも華にかぎらず。〕 〔春に春の色、秋に秋の色があるように、〕 それぞれの時にまた青・黄・赤・白などの色があるのである。 〔諸時また青黄赤白等のいろあるなり。) 春は華を咲かせ、華は春を導くものなのである。 〔春は花をひく、華は春をひくものなり。〕 華もまたかつて生じたことがない『第十四空華』14-4-7b                          合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                                     ↓               ↓       にほんブログ村