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正8-1-4『第八心不可得』第一段の4〔画に描いた餅は、飢えを止めることはできない〕

 〔『正法眼蔵』原文〕 

うらむべし、数百軸スヒャクジクの釈主シャクシュ、数十年スジュウネンの講者コウジャ

わづかに弊婆の一問をうるに、たちまちに負処に墮して、

祇対シタイにおよばざること。


正師をみると、正師に師承シジョウせると、正法をきけると、いまだ正法を

きかず正法をみざると、はるかにことなるによりて、かくのごとし。


徳山このときはじめていはく、

「画にかけるもちひ、うゑをやむるにあたはず」と。


いまは龍潭リュウタンに嗣法シホウすと称ショウず。



〔『正法眼蔵』私訳〕

嘆かわしいことだ、数百巻の経典を、数十年も講釈してきた者が、

老婆から質問され、すぐ負けてしまい、答えることができなかったとは。

(うらむべし、数百軸の釈主、数十年の講者、わづかに弊婆の一問をうるに、

たちまちに負処に墮して、祇対におよばざること。)


正師にまみえ、正師の教えを受け、正法を聞いた者と、

まだ正法を聞いたこともなく正法を見たことがない者とでは、

はるかに異なるので、このようになるのである。

(正師をみると、正師に師承せると、正法をきけると、

いまだ正法をきかず正法をみざると、はるかにことなるによりて、かくのごとし。)


徳山はこの時はじめて言った、

「画に描いた餅は、飢えを止めることはできない」と。

(徳山このときはじめていはく、画にかけるもちひ、うゑをやむるにあたはずと。)


その後、龍潭の法を継いだと言われている。

(いまは龍潭に嗣法すと称ず。)


                     合掌



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