スキップしてメイン コンテンツに移動

正8-1-3『第八心不可得』第一段3 原文私訳〔和尚さんが答えられないなら、餅を売ることはできません〕

 〔『正法眼蔵』原文〕

 ときに鑑カン講師とふ、「なんぢはこれなに人ぞ」。


 婆子バスいはく、「われは買餅マイヒンの老婆子なり」。


 徳山いはく、「わがためにもちひをうるべし」。


 婆子いはく、「和尚もちひをかうてなにかせん」。


 徳山いはく、「もちひをかうて点心にすべし」。


 婆子いはく、「和尚のそこばくたづさへてあるは、

それなにものぞ」。


 徳山いはく、「なんぢきかずや、われはこれ周金剛王なり。

金剛経に長ぜり、通達せずといふところなし。

わがいまたづさへたるは、金剛経の解釈ゲシャクなり」。


 かくいふをきゝて、婆子いはく、

「老婆に一問あり、和尚これをゆるすやいなや」。


 徳山いはく、

「われいまゆるす。なんぢ、こころにまかせてとふべし」。


 婆子いはく、「われかつて金剛経をきくにいはく、

過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。

いまいづれの心シンをか、もちひをしていかに点ぜんとかする。


和尚もし道得ならんには、もちひをうるべし。


和尚もし道不得ドウフトクならんには、もちひをうるべからず」。


 徳山ときに茫然ボウゼンとして祇対シタイすべきところおぼえざりき。


婆子すなはち払袖ホッシュウしていでぬ。


つひにもちひを徳山にうらず。



〔『正法眼蔵』私訳〕

そこで、宣鑑講師が尋ねた、「あなたは何をする人か」。

(ときに鑑講師とふ、なんぢはこれなに人ぞ。)


老婆が言った、「私は餅を売る老婆じゃ」。

(婆子いはく、われは買餅の老婆子なり。)


徳山が言った、「では、私に餅を売ってもらおうか」。

(徳山いはく、わがためにもちひをうるべし。)


老婆が言った、「和尚さんは餅を買ってどうなさるのか」。

(婆子いはく、和尚もちひをかうてなにかせん。)


徳山が言った、

「餅を買って点心少量の食事を、心胸(腹)に点ずることにしようと思う」。

(徳山いはく、もちひをかうて点心にすべし。)


老婆が言った、

「和尚さんがたくさん持っておられるのは、それは何ですかの」。

(婆子いはく、和尚のそこばくたづさへてあるは、それなにものぞ。)


徳山が言った、

「あなたは聞いたことがないのか、我は『金剛経』の第一人者の周だ。

『金剛経』に精通していて、分からないところはない。

私が携えているのは、『金剛経』の注釈書だ」。

(徳山いはく、なんぢきかずや、われはこれ周金剛王なり。金剛経に長ぜり、

通達せずといふところなし。わがいまたづさへたるは、金剛経の解釈なり。)


このように言うのを聞いて、老婆が言った、

「老婆に一つおたずねしたいことがあります。

和尚さんは、それを許してくださいますか」。

(かくいふをききて、婆子いはく、老婆に一問あり、和尚これをゆるすやいなや。)


徳山が言った、「許しましょう。何でも聞いていいですよ」。

(徳山いはく、われいまゆるす。なんぢ、こころにまかせてとふべし。)


老婆が言った、「私が以前『金剛経』を聞いていましたら、

『過去の心は不可得であり、現在の心も不可得であり、

未来の心も不可得である』とありました。

(婆子いはく、われかつて金剛経をきくにいはく、

過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。)


今、和尚さんはどの心で、餅をどのように食べようとしておられるのですか

〔、不可得では食べられないではないですか〕。

(いまいづれの心をか、もちひをしていかに点ぜんとかする。)


和尚さんがもし答えられるなら、餅をお売りしましょう。

和尚さんがもし答えられないなら、餅を売ることはできません」と。

(和尚もし道得ならんには、もちひをうるべし。

和尚もし道不得ならんには、もちひをうるべからず。)


徳山はその時、茫然として、答えるべき言葉を思いつかなかった。

(徳山ときに茫然として祇対すべきところをおぼえざりき。)


そこで、老婆は袖を払ってそこを去り、ついに餅を徳山に売らなかった。

(婆子すなはち払袖していでぬ。つひにもちひを徳山にうらず。)



                        合掌



ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                       


     ↓               ↓

コメント

このブログの人気の投稿

総裁選挙期間中『正法眼蔵』ブログの配信を休みます。かわりに、

 今回の自民党総裁選挙は、30年の長期低迷中の日本を成長へと大胆に改革していけるか駄目かの運命を決めるものと、私は考えています。9名全員のビジョン・政策・発言を聞き、人気投票で選ばれるような総裁では、日本の成長は無理と考えられます。 そこで、369人の自民党国会議員と 105万人の自民党員が、日本の未来のために正しい判断をしてくれるよう、一つの意見としてSNSで発信しようと考えています。 まず、 拝啓 自民党国会議員各位  として新しいブログを始めました。時折覗いてみてください。またご意見などあれば是非およせください。 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                               ↓               ↓       にほんブログ村

正7-6-3a『第七一顆明珠』第六段3a 原文私訳〔どうあろうが、すべてはいつもみな明珠なのである〕

  〔『正法眼蔵』原文〕   既是恁麼 キゼインモ は、尽十方界にてある一顆明珠なり。 しかあればすなはち、 転不転のおもてをかへゆくににたれども、すなはち明珠なり。 まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。 明珠はかくのごとくきこゆる声色 ショウシキ あり。 既得恁麼 キトクインモ なるには、われは明珠にはあらじとたどらるゝは、 たまにはあらじとうたがはざるべきなり。 たどりうたがひ、取舎 シュシャ する作無作 サムサ も、たゞしばらく小量の 見 ケン なり、さらに小量に相似 ソウジ ならしむるのみなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 酒に酔いつぶれている (全身仏法になり一顆明珠になり切っている)とき に 珠を与える親友 (一顆明珠である自己) がいて、 親友 (一顆明珠である自己) には必ず珠を与えるのである。 (酔酒 スイシュ の時節にたまをあたふる親友あり、 親友にはかならずたまをあたふべし。) 珠を懸けられる時は、必ず酒に酔いつぶれている (全身仏法になり一顆明珠になり切っている) のである。 (たまをかけらるゝ時節、かならず酔酒するなり。) 既にこのようであることは、 十方のすべての世界である一個の明珠なのである。 (既是恁麼 キゼインモ は、尽十方界にてある一顆明珠なり。) そうであるから、転 (迷ったり) 不転 (悟ったり) と 表面を変るように見えても、中身は明珠なのである。 (しかあればすなはち、転不転のおもてをかへゆくににたれども、 すなはち明珠なり。) まさに珠はこうであると知る、すなわち これが明珠なのである。 (まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。) 明珠にはこのように (迷っても悟ってもみな明珠だと) 知られるありさま (声色) があるのである。 (明珠はかくのごとくきこゆる声色 ショウシキ あり。) 既にこのようであるので、自分は明珠ではないと戸惑っても、 明珠ではないと疑ってはならない。 (既得恁麼 キトクインモ なるには、われは明珠にはあらじとたどらるゝは、 たまにはあらじとうたがはざるべきなり。) 戸惑い疑い、あれこれうろたえ回るありさまも、 ただしばらくの小さな考えである。 さらに言えば、明珠が小さな考えに見せかけているに過ぎないのである。 (たどりうたがひ、取舎 シュシャ する作無作 ...

正9-3-4a『第九古仏心』第三段その4a〔牆壁瓦礫が人間に造らせたのか〕

〔『正法眼蔵』原文〕   しかあれば、「作麼生是牆壁瓦礫 ソモサンカコレショウヘキガリャク 」 と問取すべし、道取すべし。 答話せんには、「古仏心」と答取すべし。 かくのごとく保任してのちに、さらに参究すべし。 いはゆる牆壁はいかなるべきぞ。 なにをか牆壁といふ、いまいかなる形段 ギョウダン をか具足せると、 審細に参究すべし。 造作 ゾウサ より牆壁を出現せしむるか、牆壁より造作を出現せしむるか。 造作か、造作にあらざるか。 有情なりとやせん、無情なりや。 現前すや、不現前なりや。 かくのごとく功夫参学して、たとひ天上人間にもあれ、 此土他界の出現なりとも、古仏心は牆壁瓦礫なり、 さらに一塵の出頭して染汚 ゼンナ する、いまだあらざるなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕     そうであるから、「どのようなものが牆壁瓦礫か」 と問うべきであり、言うべきである。 (しかあれば、「作麼生是牆壁瓦礫」と問取すべし、道取すべし。)   答えるには、「古仏心」と答えるべきである。 (答話せんには、「古仏心」と答取すべし。) 〔これで古仏心と牆壁瓦礫が少しも違わないということが、 いよいよ明らかになるのである。〕 このように保ち続けたうえで、さらに参究すべきである。 (かくのごとく保任してのちに、さらに参究すべし。)   言うところの牆壁瓦礫とは、どのようなものか。 (いはゆる牆壁はいかなるべきぞ。)   何を牆壁瓦礫と言うのか、今どのような形をしているのかと、 詳しく細やかに参究すべきである。 (なにをか牆壁といふ、いまいかなる形段をか具足せると、審細に参究すべし。) 人間が造ることで牆壁瓦礫を出現させたのか、 牆壁瓦礫が人間に造らせたのか。 (造作より牆壁を出現せしむるか、牆壁より造作を出現せしむるか。) 人間が造るのか、人間が造るのではないのか。 (造作か、造作にあらざるか。) 有情だとするのか、無情だとするのか。 (有情なりとやせん、無情なりや。)   現前しているのか、現前していないのか。 (現前すや、不現前なりや。) このように参学して、たとえ天上界や人間界であっても、 現世や来世や出現しても、古仏心は牆壁瓦礫であり、 一つの塵が出現して、古仏心が牆壁瓦礫であるという事実を 染め汚すことは、いまだないのである。 (かくのごとく功夫参学して、たとひ天上人間にもあれ...