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正7-7-1a『第七一顆明珠』第七段1a 原文私訳〔黒山鬼窟と思っている日常の起居進退も、すべてただ一個の明珠にほかならないのである〕

〔『正法眼蔵』原文〕

 愛せざらんや、明珠かくのごとくの彩光きはまりなきなり。


彩々光々の片々条々は尽十方界の功徳なり。


たれかこれをザンダツせん。行市アンシに塼カワラをなぐる人あらず、

六道の因果に不落有落フラクウラクをわづらふことなかれ。


不昧フマイ本来の頭正尾正ズシンビシンなる、

明珠は面目なり、明珠は眼睛ガンゼイなり。





〔『正法眼蔵』私訳〕

大切にしないことがあろうか、

明珠はこのような美しい光が極まりないのである。

(愛せざらんや、明珠かくのごとくの彩光きはまりなきなり。)


その彩りと光の一筋一筋は、

ことごとくみなあらゆる世界の功徳である。

(彩々光々の片々條々は尽十方界の功徳なり。)


誰がこれを奪い取ることができようか。

(たれかこれをザンダツせん。)


すべては明珠であるから、市場で塼を価値のないものとして投げ捨てる人は

いない。六道の因果に落ちれば沈淪し、落ちなければ解脱するなどと

思い煩ってはならないのである。

(行市アンシに塼カワラをなぐる人あらず、六道の因果に不落有落フラクウラクをわづらふことなかれ。)

〔因果に落ちても落ちなくてもみな明珠なのだ。〕


しかし、徹頭徹尾、因果の道理はくらまされない(造悪の者は堕ち修善の者はのぼる)、そこが明珠の面目であり、明珠の目玉なのである。

(不昧フマイ本来の頭正尾正ズシンビシンなる、明珠は面目なり、明珠は眼睛ガンゼイなり。)




                         合掌



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