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正3-10-1④『第三仏性』第十段その1④〔蟻の身も、ただよくこのようであれば、すべて清浄で至妙な仏国土であり、不可思議なものである〕

 

〔『正法眼蔵』本文〕

若し能く恁麼インモなれば、階梯カイテイ勝劣を論ぜず、


乃至ナイシ蟻子之身ギスノミも、但能く恁麼なれば、尽く是れ浄妙国土、不可思議なり」と。



〔抄私訳〕

・「若し能く恁麼なれば、階梯勝劣を論ぜず、乃至蟻子之身も、但能く恁麼なれば、尽く是れ浄妙国土、不可思議なり」と言う。つまり、「蟻子ギス」はアリである。「蟻子」は「国土」を住むところとしており、「蟻子」は生き物であるが、そのまま「蟻子」の身をさして、「浄妙国土、不可思議なり」と説くのである。


〔聞書私訳〕

/「若し能く恁麼インモなれば、階梯カイテイ勝劣を論ぜず、乃至ナイシ蟻子之身ギスノミも、但能く恁麼なれば、尽く是れ浄妙国土、不可思議なり」という「恁麼なれば」とあるのは、上の「最上乗」より「去住自由なり、出入難無し」までを指すから「階梯勝劣」はない。だから「蟻子之身」も、「浄妙国土、不可思議」と言われるのである。ましてや、我々は劣っているといって、我々自身を洩らしてはならないのである。


/「蟻子」がここで必要なのではなく、最下位のものの例えとして出されたのである。一般の言葉であれば、「蟻も仏だ」などと言うであろうが、「浄妙国土」とあるのは、仏の「身土不二」(身体と国土は一つ)と説かれる意味合いなのである。



〔『正法眼蔵』私訳〕

もしよくこのようであれば、階級や勝劣は問題ではなく、(若し能く恁麼インモなれば、階梯カイテイ勝劣を論ぜず、)


また蟻の身も、ただよくこのようであれば、すべて清浄で至妙な仏国土であり、不可思議なものなのである」と。(乃至ナイシ蟻子之身ギスノミも、但能く恁麼なれば、尽く是れ浄妙国土、不可思議なり」と。)


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