〔『正法眼蔵』原文〕
洞山悟本大師トウザン ゴホン ダイシ道イハク、
「説取セッシュ行不得底ギョウ フトクテイ、行取ギョウシュ説不得底セツ フトクテイ
《行不得底を説取し、説不得底を行取す》」。
これ高祖の道ドウなり。その宗旨は、行は説に通ずるみちをあきらめ、説の行に通ずるみちあり。しかあれば、終日とくところに終日おこなふなり。その宗旨は、行不得底を行取し、説不得底を説取するなり。
雲居山弘覚大師ウンゴザン コウガク ダイシ、この道を七通八達シッツウハッタツするにいはく、「説時無行路セツジムギョウロ、行時無説路ギョウジムセツロ」。
この道得は、行説ギョウセツなきにあらず、その説時は、一生不離叢林なり。その行時は、洗頭到雪峰前セントウトウ セッポウゼンなり。説時無行路、行時無説路、
さしおくべからず、みだらざるべし。
〔『正法眼蔵』私訳〕 洞山悟本大師は言う、
「行じ得ないところを説き、説き得ないところを行ずる」。
(洞山悟本大師道、「説取行不得底、行取説不得底《行不得底を説取し、説不得底を行取す》」。)
これは洞山高祖トウザンコウソの言葉である。
(これ高祖の道なり。)
その宗旨は、
行は説に通じる道を明らかにし、説が行に通じる道があるというのである。
(その宗旨は、行は説に通ずるみちをあきらめ、説の行に通ずるみちあり。)
そうであるから、一日中説くところに一日中行ずることがあるのである。
(しかあれば、終日とくところに終日おこなうなり。)
その宗旨は、
行じ得ないところを行じ、説き得ないところを説くというのである。
(その宗旨は、行不得底を行取し、説不得底を説取するなり。)
雲居山弘覚大師は、この洞山の言葉を自由自在にして言う、
「説く時は行ずることがない、行ずる時は説くことがない」と。
(雲居山弘覚大師、この道を七通八達するにいはく、「説時無行路、行時無説路」。)
ここで言うのは、行も説もないというのではない、
その説く時とは、一生禅林を離れず修行するということである
〔、その修行が無上菩提を説きぬいているのである〕。
(この道得は、行説なきにあらず、その説時は、一生不離叢林なり。)
その行ずる時とは、〔長く庵に住していた僧が〕頭髪を洗って師の前に行き着いたことである〔、髪を剃ってくださいということを無言で説きぬいている〕。
(その行時は、洗頭到雪峰前なり。)
「説く時は道を行ずることはない、行ずる時は道を説くことはない」ということを、そのままに捨ておいてはいけない。「説」と「行」を乱してはいけない。
(説時無行路、行時無説路、さしおくべからず。みだらざるべし。)
〔行のときは行きり、説のときは説きりで、
一方を証するときは一方はくらしである。〕
洞山悟本大師「行じ得ないところを説き、説き得ないところを行ずる」『第十六行持』16-16b
合掌
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