〔『正法眼蔵』原文〕
大善知識ダイゼンチシキ、かならず人をしる徳あれども、
耕道功夫コウドウクフウのとき、あくまで親近シンゴンする良縁まれなるものなり。
雪峰のむかし、洞山トウザンにのぼれりけんにも、
投子トウスにのぼれりけんにも、さだめてこの事煩ジハンをしのびけん。
この行持の法操ホウソウあはれむべし、参学せざらんはかなしむべし。
正法眼蔵行持第十六 上
仁治癸卯ミズノト ウ正月十八日書写了
同三月八日校点了 懐弉エジョウ
〔『正法眼蔵』私訳〕
優れた指導者は、必ず人を知る徳があるが、
坐禅弁道の時、思う存分親近できる良縁に恵まれることは稀である。
(大善知識、かならず人をしる徳あれども、
耕道功夫のとき、あくまで親近する良縁まれなるものなり。)
雪峰がその昔、洞山に上ったときも、投子山に上ったときも、
きっとこのような煩わしさをじっと耐えたのであろう。
(雪峰のむかし、洞山にのぼれりけんにも、投子にのぼれりけんにも、
さだめてこの事煩をしのびけん。)
この行持を固く守って変えなかった志は称賛に値するものである。
このように学ばないことは悲しいことである。
(この行持の法操あはれむべし。参学せざらんはかなしむべし。)
正法眼蔵涅槃妙心第十六行持上の巻。
仁治4年癸卯(1243年)1月18日に書写し終わる。
同年3月8日に校正点検し終わる。懐弉
合掌
ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。
↓ ↓

コメント
コメントを投稿