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香厳智閑禅師:小石が竹に当たり音を立てたとき、たちまち道を悟った『第十六行持』16-19

〔『正法眼蔵』原文〕                               香厳キョウゲンの智閑禅師シカン ゼンジは、大潙ダイイに耕道コウドウせしとき、一句を道得せんとするに数番スバンつひに道不得ドウフトクなり。


これをかなしみて、書籍ショジャクを火にやきて、行粥飯僧ギョウシュクハンソウとなりて、年月を経歴キョウリャクしき。


のちに武当山ブトウザンにいりて、大証の旧趾キュウシをたづねて、結草為庵ケッソウイアンし、放下幽棲ホウゲユウセイす。


一日わづかに道路を併浄ヘイジョウするに、礫カワラのほとばしりて、竹にあたりて声をなすによりて、忽然コツネンとして悟道す。


のちに香厳寺キョウゲンジに住して、一盂一衲イチウイチノウを平生ヘイゼイに不換なり。


奇巌清泉キガンセイセンをしめて、一生偃息イッショウ エンソクの幽棲とせり。


行跡おほく本山にのこれり。平生に山をいでざりけるといふ。



〔『抄』私訳〕                                 香厳智閑禅師の段、文の通りである。

「礫のほとばしりて、竹にあたりて声をなすによりて、忽然として悟道」したのは、この禅師のことである。



〔『正法眼蔵』私訳〕                               香厳寺の智閑禅師は、大潙禅師(潙山霊祐)の下で仏道修行していた時、〔大潙に仏道の究極を一句で言えと問われて、〕一句を言おうとして何度も試みたが結局言うことができなかった。

(香厳の智閑禅師は、大潙に耕道せしとき、一句を道得せんとするに数番つひに道不得なり。)


これを悲しんで、持っていた書籍をすべて焼き捨て、

食事の給仕係の僧となって、年月を過ごした。

(これをかなしみて、書籍を火にやきて、行粥飯僧となりて、年月を経歴しき。)


後に武当山に入って、大証国師南陽慧忠の旧跡を訪ねて草庵を結び、

諸縁を捨て静かに暮らした。

(のちに武当山にいりて、大証の旧趾をたづねて、結草為庵し、放下幽棲す。)


ある日のこと、少しばかり道を掃き清めていると、小石が勢いよく飛び散って、竹に当たり音を立てたとき、たちまち仏道を悟った。

(一日わづかに道路を併浄するに、礫のほとばしりて、

竹にあたりて声をなすによりて、忽然として悟道す。)


後に香厳寺に住持して、一つの応量器と一着の袈裟を常に換えなかった。

(のちに香厳寺に住して、一盂一衲を平生に不換なり。)


奇岩清流の地を居所として、一生休息の住まいとした。

(奇巌清泉をしめて、一生偃息の幽棲とせり。)


智閑禅師の行跡は数多く香厳寺に残っている。

(行跡おほく本山にのこれり。)


常に山を出なかったと言う。

(平生に山をいでざりけるといふ。)

 

               合掌


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