〔『聞書』私訳〕
/「趙州眞際大師」。
あるいは、「旋転飯食」とは、
典座を決めず大衆が交代で食事を営むことである。
〔『抄』私訳〕
「趙州観音院眞際大師」の段、文の通りである。
「一生不離叢林」の姿が、すなはち「行持」である。仏道でなければ、「不語」を「行持」と言うことは決してない。「亜漢」とは聴覚障害者である。「叢林」に住して「不語」である姿が「行持」なのである。
坐禅の当体がすなわち作仏であるというほどの意味である。「諸仏也不奈你何」《諸仏もまたなんじをいかんともせず》とは、諸仏をもものともしないという意である。たとえば、仏にも劣らないという意味合いである。
また、 「入之一叢林なり、出之一叢林なり、烏路一叢林なり、偏界一叢林なり」とある。「叢林」と言えば、単なる一棟の建物と思ってはならない、尽界が「叢林」なのである。これがすなわち「行持」であり、ここに「出」「入」することがみな「行持」なのである。 ただ僧堂に大衆が出入する意味とばかり理解してはならないのである。
合掌
ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。
↓ ↓

コメント
コメントを投稿