〔『正法眼蔵』原文〕
しかあれば、「作麼生是牆壁瓦礫ソモサンカコレショウヘキガリャク」
と問取すべし、道取すべし。
答話せんには、「古仏心」と答取すべし。
かくのごとく保任してのちに、さらに参究すべし。
いはゆる牆壁はいかなるべきぞ。
なにをか牆壁といふ、いまいかなる形段ギョウダンをか具足せると、
審細に参究すべし。
造作ゾウサより牆壁を出現せしむるか、牆壁より造作を出現せしむるか。
造作か、造作にあらざるか。
有情なりとやせん、無情なりや。
現前すや、不現前なりや。
かくのごとく功夫参学して、たとひ天上人間にもあれ、
此土他界の出現なりとも、古仏心は牆壁瓦礫なり、
さらに一塵の出頭して染汚ゼンナする、いまだあらざるなり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
そうであるから、「どのようなものが牆壁瓦礫か」
と問うべきであり、言うべきである。
(しかあれば、「作麼生是牆壁瓦礫」と問取すべし、道取すべし。)
答えるには、「古仏心」と答えるべきである。
(答話せんには、「古仏心」と答取すべし。)
〔これで古仏心と牆壁瓦礫が少しも違わないということが、
いよいよ明らかになるのである。〕
このように保ち続けたうえで、さらに参究すべきである。
(かくのごとく保任してのちに、さらに参究すべし。)
言うところの牆壁瓦礫とは、どのようなものか。
(いはゆる牆壁はいかなるべきぞ。)
何を牆壁瓦礫と言うのか、今どのような形をしているのかと、
詳しく細やかに参究すべきである。
(なにをか牆壁といふ、いまいかなる形段をか具足せると、審細に参究すべし。)
人間が造ることで牆壁瓦礫を出現させたのか、
牆壁瓦礫が人間に造らせたのか。
(造作より牆壁を出現せしむるか、牆壁より造作を出現せしむるか。)
人間が造るのか、人間が造るのではないのか。
(造作か、造作にあらざるか。)
有情だとするのか、無情だとするのか。
(有情なりとやせん、無情なりや。)
現前しているのか、現前していないのか。
(現前すや、不現前なりや。)
このように参学して、たとえ天上界や人間界であっても、
現世や来世や出現しても、古仏心は牆壁瓦礫であり、
一つの塵が出現して、古仏心が牆壁瓦礫であるという事実を
染め汚すことは、いまだないのである。
(かくのごとく功夫参学して、たとひ天上人間にもあれ、此土他界の出現なりとも、
古仏心は牆壁瓦礫なり、さらに一塵の出頭して染汚する、いまだあらざるなり。)
『第九古仏心』第三段その4b〔牆壁瓦礫が人間に造らせたのか〕
合掌
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