正法眼蔵第十一坐禅儀ザゼンギ
〔『正法眼蔵』原文〕
参禅は坐禅なり。
坐禅は静処ジョウショよろし。坐蓐ザニクあつくしくべし。
風烟フウエンをいらしむる事なかれ、雨露ウロをもらしむることなかれ、
容身ヨウシンの地を護持すべし。
かつて金剛コンゴウのうへに坐し、盤石バンジャクのうへに坐する蹤跡ショウセキあり、
かれらみな草をあつくしきて坐せしなり。
坐処あきらかなるべし、昼夜くらからざれ。
冬暖夏涼トウダンカリョウをその術とせり。
諸縁を放捨し、万事バンジを休息すべし。
善也不思量ゼンヤフシリョウなり、悪也不思量なり。
心意識にあらず、念想観にあらず。
作仏サブツを図ズする事なかれ、坐臥ザガを脱落すべし。
飲食オンジキを節量すべし、光陰を護惜ゴシャクすべし。
頭燃ズネンをはらふがごとく坐禅をこのむべし。
黄梅山オウバイサンの五祖、ことなるいとなみなし、唯務ユイム坐禅のみなり。
坐禅のとき、袈裟ケサをかくべし、蒲団フトンをしくべし。
蒲団は全跏ゼンカにしくにはあらず、跏趺カフのなかばよりはうしろにしくなり。
しかあれば、累足ルイソクのしたは坐蓐ザニクにあたれり、
脊骨セキコツのしたは蒲団にてあるなり。
これ仏々祖々の坐禅のとき坐する法なり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
正しい坐禅の仕方
(坐禅儀)
禅(自己の真相:今の様子)に参ずる(親密にいる)のは、
公案を拈ることではなく坐禅することである。
(参禅は坐禅なり。)
坐禅は静かな処が適切である。
(坐禅は静処ジョウショよろし。)
座布団を厚く敷きなさい。
(坐蓐ザニクあつくしくべし。)
風や霞が入らないようにし、雨や露が漏れてこないようにして、
身を容イれる場所を清潔に保ちなさい。
(風烟をいらしむる事なかれ、雨露をもらしむることなかれ、
容身の地を護持すべし。)
かつて金剛座(金剛石でできた坐処)の上に坐したり、
或いは大きい岩の上に坐した事跡があるが、
彼らはみな草を厚く敷いて坐ったのである。
(かつて金剛コンゴウのうへに坐し、盤石バンジャクのうへに坐する蹤跡ショウセキあり、
かれらみな草をあつくしきて坐せしなり。)
坐る場所は明るくし、昼も夜も暗くてはいけない。
(坐処あきらかなるべし、昼夜くらからざれ。)
冬は暖かく夏は涼しくするのがその方法である。
(冬暖夏涼トウダンカリョウをその術とせり。)
あらゆる人間的な関係を投げ捨て、
あらゆる人間的な事柄を休息するがよい。
(諸縁を放捨し、万事を休息すべし。)
善も考えではなく、悪も考えではないのである。
(善也不思量ゼンヤフシリョウなり、悪也不思量なり。)
坐禅は意識のはたらきではなく、思いのはたらきでもないのである。
(心意識にあらず、念想観にあらず。)
坐禅は仏になろうとするものではない、
坐禅は坐臥(坐ったり横たわったり)の形ではないことを知りなさい。
(作仏サブツを図ズする事なかれ、坐臥ザガを脱落すべし。)
〔坐禅は坐禅の形を保つことが目的ではない。
何か特別なものになろうとするのではなく、
坐禅は身心の今の様子のままにただ親しくいるだけである。〕
飲食の量を節制し、時間を大切にしなさい。
(飲食オンジキを節量すべし、光陰を護惜ゴシャクすべし。)
頭についた火を消すように坐禅にいそしみなさい。
(頭燃ズネンをはらふがごとく坐禅をこのむべし。)
黄梅山の五祖大満弘忍禅師は、特別なことは何もせず、
ただ坐禅を務めるだけであった。
(黄梅山の五祖、ことなるいとなみなし、唯務ユイム坐禅のみなり。)
坐禅の時は、袈裟をかけなさい、
坐蒲ザフ(坐禅用のクッション)を敷きなさい。
(坐禅のとき、袈裟ケサをかくべし、蒲団フトンをしくべし。)
坐蒲は全跏(足を組んだ全体)に敷くのではなく、
跏趺(足を重ねた所)の半ナカばから後ろに敷くのである。
(蒲団は全跏ゼンカにしくにはあらず、跏趺カフのなかばよりはうしろにしくなり。)
そうすれば、重ねた足の下は敷物に当たり、
坐骨の下は坐蒲となるのである。
(しかあれば、累足ルイソクのしたは坐蓐ザニクにあたれり、
脊骨セキコツのしたは蒲団にてあるなり。)
これが仏々祖々の坐禅の時に坐る方法である。
(これ仏々祖々の坐禅のとき坐する法なり。)
坐禅は身心の今の様子のままにただ親しくいるだけである『第十一坐禅儀』11-1-1b
合掌
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