〔『正法眼蔵』原文〕
既是恁麼キゼインモは、尽十方界にてある一顆明珠なり。
しかあればすなはち、
転不転のおもてをかへゆくににたれども、すなはち明珠なり。
まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。
明珠はかくのごとくきこゆる声色ショウシキあり。
既得恁麼キトクインモなるには、われは明珠にはあらじとたどらるゝは、
たまにはあらじとうたがはざるべきなり。
たどりうたがひ、取舎シュシャする作無作サムサも、たゞしばらく小量の
見ケンなり、さらに小量に相似ソウジならしむるのみなり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
酒に酔いつぶれている(全身仏法になり一顆明珠になり切っている)ときに
珠を与える親友(一顆明珠である自己)がいて、
親友(一顆明珠である自己)には必ず珠を与えるのである。
(酔酒スイシュの時節にたまをあたふる親友あり、
親友にはかならずたまをあたふべし。)
珠を懸けられる時は、必ず酒に酔いつぶれている(全身仏法になり一顆明珠になり切っている)のである。
(たまをかけらるゝ時節、かならず酔酒するなり。)
既にこのようであることは、
十方のすべての世界である一個の明珠なのである。
(既是恁麼キゼインモは、尽十方界にてある一顆明珠なり。)
そうであるから、転(迷ったり)不転(悟ったり)と
表面を変るように見えても、中身は明珠なのである。
(しかあればすなはち、転不転のおもてをかへゆくににたれども、
すなはち明珠なり。)
まさに珠はこうであると知る、すなわちこれが明珠なのである。
(まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。)
明珠にはこのように(迷っても悟ってもみな明珠だと)
知られるありさま(声色)があるのである。
(明珠はかくのごとくきこゆる声色ショウシキあり。)
既にこのようであるので、自分は明珠ではないと戸惑っても、
明珠ではないと疑ってはならない。
(既得恁麼キトクインモなるには、われは明珠にはあらじとたどらるゝは、
たまにはあらじとうたがはざるべきなり。)
戸惑い疑い、あれこれうろたえ回るありさまも、
ただしばらくの小さな考えである。
さらに言えば、明珠が小さな考えに見せかけているに過ぎないのである。
(たどりうたがひ、取舎シュシャする作無作サムサも、たゞしばらく小量の見ケンなり、
さらに小量に相似ソウジならしむるのみなり。)
〔どうあろうが、すべてはいつもみな明珠なのである。〕
合掌
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