〔『正法眼蔵』原文〕
しかあればすなはち、梁リョウより魏へゆくことあきらけし。
嵩山スウザンに経行キンヒンして少林に倚杖イジョウす。
面壁燕坐メンペキエンザすといへども、習禅にはあらざるなり。
一巻の経書キョウショを将来せざれども、正法伝来の正主ショウシュなり。
しかあるを、史者あきらめず、
習禅の篇につらぬるは、至愚なり、かなしむべし。
かくのごとくして嵩山に経行するに、犬あり、堯ギョウをほゆ。
あはれむべし、至愚なり。
だれのこゝろあらんか、この慈恩をかろくせん。
たれのこゝろあらんか、この恩を報ぜざらん。
世恩なほわすれず、おもくする人おほし、これを人といふ。
祖師の大恩は父母ブモにもすぐるべし、
祖師の慈愛は、親子シンシにもたくらべざれ。
〔『正法眼蔵』私訳〕
このようであったので、大師が梁から魏へ行ったことは明らかである。
(しかあればすなはち、梁より魏へゆくことあきらけし。)
嵩山に行き少林寺に逗留した。
(嵩山に経行して少林に倚杖す。)
壁に向って坐禅をしたが、それは禅定の修練ではないのである。
(面壁燕坐すといへども、習禅にはあらざるなり。)
大師は一巻の経書ももたらさなかったが、
正法を伝来した正統な教主である。
(一巻の経書を将来せざれども、正法伝来の正主なり。)
しかし、歴史家はそのことを理解せず、禅定を修練する者の部類に入れたのは、まことに愚かで、悲しむべきことである。
(しかあるを、史者あきらめず、習禅の篇につらぬるは、至愚なり。かなしむべし。)
このようにして嵩山に行ったが、盗人の犬が聖天子の堯を吠えたように、
大師を誹謗する者がいた。
(かくのごとくして嵩山に経行するに、犬あり、堯をほゆ。)
〔犬は、達磨大師に迫害を加えた菩提流支三蔵や光統律師などを指す。〕
哀れむべき者であり、まことに愚かなことである。
(あわれむべし、至愚なり。)
心ある人ならば、誰が慈悲深いこの師の恩を軽んじるであろうか。
(だれのこゝろあらんか、この慈恩をかろくせん。)
心ある人ならば、誰がこの師の恩に報いないでおられようか。
(だれのこゝろあらんか、この恩を報ぜざらん。)
世間的な恩義であっても忘れることなく、大切にする人は多い、
これを人と言うのである。
(世恩なほわすれず、おもくする人おほし、これを人といふ。)
祖師の大恩は父母の恩よりも優れており、
祖師の慈愛は親子の愛にも比べられないものである。
(祖師の大恩は父母にもすぐるべし。祖師の慈愛は親子にもたくらべざれ。)
合掌
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