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どうして万事を思い通りにし、自ら充分であることを求めるのか『第十六行持』16-13-1

〔『正法眼蔵』原文〕                          

五祖山の法演禅師いはく、師翁シオウはじめて楊岐ヨウギに住せしとき、

老屋敗椽ハイテンして風雨之弊フウウノヘイはなはだし。


ときに冬暮なり、殿堂ことごとく旧損クソンせり。


そのなかに僧堂ことにやぶれ、雪霰満床セッサンマンショウ、居不遑処キョフコウショ

《雪霰床に満ちて、居、処るに遑イトマあらず》なり。


雪頂セッチョウの耆宿ギシュクなほ澡雪ソウセツし、

厖眉モウビの尊年、皺眉シュウビのうれへあるがごとし。


衆僧やすく坐禅することなし。


衲子ノッス、投誠トウジョウして修造せんことを請ぜしに、師翁却之コレヲシリゾケテいはく、


「我仏有言、時当減劫、高岸深谷、遷変不常。安得円満如意、自求称足

《我仏ガブツ、言へること有り、時、減劫ゲンゴウに当たって、高岸深谷、遷変して常ならず。安イズくんぞ円満如意にして、自ら称足ショウソクなるを求むることを得ん》ならん。


古往コオウの聖人ショウニン、おほく樹下露地に経行キンヒンす。

古来の勝躅ショウチョクなり、履空リクウの玄風なり。


なんだち出家学道する、做手脚サシュキャクなほいまだおだやかならず。

わづかにこれ四五十歳なり、たれかいたづらなるいとまありて、

豊屋ホウオクをこととせん」。


ついに不従フジュウなり。 




〔『正法眼蔵』私訳〕                    

五祖山の法演禅師は言った、

わが師匠(白雲守端)の師匠にあたる楊岐方会禅師が初めて楊岐山に住持した時、古い建物はたる木がこわれていて、風雨の弊害がひどかった。

(五祖山の法演禅師いはく、師翁はじめて楊岐に住せしとき、

老屋敗椽して風雨の弊はなはだし。)                


時は冬の終わりのころであったが、

建物はどれも古くなって破損していた。

(ときに冬暮なり、殿堂ことごとく旧損せり。)


中でも僧堂は殊に破損しており、雪や霰が床一杯になり、

坐る場所を見つけることもできないほどであった。

(そのなかに、僧堂ことにやぶれ、雪霰牀に満ちて、居、処に遑あらずなり。)                               


その中で白髪の老僧はさらに雪を払い、

長い眉の老僧は、眉をしかめて嘆き訴えているようであった。

(雪頂の耆宿なほ澡雪し、厖眉の尊年、皺眉のうれへあるがごとし。)


多くの僧は安らかに坐禅することが出来なかった。

(衆僧やすく坐禅することなし。)                


僧たちが誠をつくして修理を願い出たが、

楊岐方会禅師はそれを退けて言った、

(衲子投誠して修造せんことを請せしに、師翁却之いはく、)                         


「わが釈尊は言われた、『時は、減劫(人の寿命が減っていく時期)であり、

高い崖や深い谷でさえ、移り変わって永久ではない。それなのにどうして

万事を思い通りにし、自ら充分であることを求めるのか』と。

(「我仏、言へること有り。時、減劫に当たって、高岸深谷、遷変して常ならず。

安くんぞ円満如意にして、自ら称足なるを求むることを得んならん。)                 


昔の聖人は、多く大木の下や雨ざらしの地で坐禅し経行した。

それが昔からの優れた足跡であり、

クウの理を実践する奥深い家風である。

(古往の聖人、おほく樹下露地に経行す。古来の勝躅なり、履空の玄風なり。)                                


お前たちは出家して仏道を修行しているが、手足の振る舞いさえまだ穏やかでない。一生修行しても、せいぜい四、五十年である。誰がひまな時があって、建物を立派にすることに専念できよう」と。

(なんだち出家学道する、做手脚なほいまだおだやかならず。わづかにこれ四五十歳なり、

たれかいたづらなるいとまありて、豊屋をこととせん」。)


遂に僧たちの申し出に従わなかった。

(ついに不従なり。) 



           合掌


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