〔『正法眼蔵』原文〕
しかあれば明明の光明は百草なり。
百草の光明、すでに根茎枝葉、花菓光色、いまだ与奪あらず。
五道の光明あり、六道の光明あり。
這裏シャリ是什麼シシモ処在ショザイなればか、説光説明セツミョウする。
云何ウンガ忽生コッショウ山河大地なるべし。
長沙道の尽十方界、是自己光明の道取を審細に参学すべきなり。
光明、自己、尽十方界を参学すべきなり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
そうであるから、
明々とした光明とは、百草(森羅万象)のことである。
(しかあれば明明の光明は百草なり。)
百草(森羅万象)の光明は、現に根や茎や枝や葉、
花や果実や光沢や色彩であり、光明が百草を奪って与えるのではなく、
ただ無始無終の道理である。
(百草の光明、すでに根茎枝葉、花菓光色、いまだ与奪あらず。)
五道(地獄・餓鬼・畜生・人・天)の光明があり、
六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の光明がある。
(五道の光明あり、六道の光明あり。)
ここをどこだと思って、光明と説くのか、
光明でない所はどこにもないではないか。
(這裏是什麼処在なればか、説光説明する。)
清浄本然であるのに、どうして突然山河大地が生じるのか。
(云何忽生山河大地なるべし。)
長沙が言う「尽十方界は自己の光明である」
という言葉を詳しく細やかに参学すべきである。
(長沙道の尽十方界、是自己光明の道取を審細に参学すべきなり。)
光明と自己と尽十方界と一体であることを参学すべきである。
(光明、自己、尽十方界を参学すべきなり。)
合掌
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