〔『正法眼蔵』原文〕
空華を学せんこと、まさに衆品シュホンあるべし。
翳眼の所見あり、明眼ミョウゲンの所見あり。
仏眼の所見あり、祖眼の所見あり。
道眼の所見あり、瞎眼カツゲンの所見あり。
三千年の所見あり、八百年の所見あり。
百劫の所見あり、無量劫の所見あり。
これらともにみな空花をみるといへども、
空クウすでに品々ホンポンなり、華ケまた重々なり。
まさにしるべし、空は一草なり、
この空かならず花さく、百草に花さくがごとし。
この道理を道取するとして、
如来道は「空本無華クウホンムケ」と道取するなり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
空華を学ぶには、本当に多くの種類がある。
〔空華を学せんこと、まさに衆品あるべし。〕
病眼が見る空華があり、明眼が見る空華がある。
〔翳眼の所見あり、明眼の所見あり。〕
仏眼が見る空華があり、祖師眼が見る空華がある。
〔仏眼の所見あり、祖眼の所見あり。〕
道眼が見る空華があり、霞み眼が見る空華がある。
〔道眼の所見あり、瞎眼の所見あり。〕
三千年が見る空華があり、八百年が見る空華がある。
〔三千年の所見あり、八百年の所見あり。〕
百劫の長期間が見る空華があり、数え切れない長期間が見る空華がある。
〔百劫の所見あり、無量劫の所見あり。〕
これらはともにみな空華を見るけれども、
空クウは現にさまざまであり、華もまたいろいろである。
〔これらともにみな空花をみるといへども、空すでに品々なり、華また重々なり。〕
空クウは一茎の草であり、この空は必ず花が咲く、
百草に花が咲くようなようなことであると必ず知るべきである。
〔まさにしるべし、空は一草なり、この空かならず花さく、百草に花さくがごとし。〕
この道理を説こうとして、如来は「空本無華」(空も本も無も華だ)と言われるのである。
〔この道理を道取するとして、如来道は空本無華と道取するなり。〕
空華を学ぶには、本当に多くの種類がある『第十四空華』14-4-5b
合掌
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