〔『正法眼蔵』原文〕
「尽十方」といふは、逐物為己チクモツイコ、逐己為物チクコイモツ
《物を逐ひて己と為し、己を逐ひて物と為す》の未休なり。
情生智隔ジョウショウチカク《情生ずれば智隔たる》を隔と道取ドウシュする、
これ回頭換面カイトウカンメンなり、展事投機なり。
逐己為物のゆゑに未休なる尽十方なり。
機先の道理なるゆゑに機要の管得にあまれることあり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
「尽十方」とは、四方八方上下ではなく、万物を逐えば自己となり、
自己を逐えば万物となるという自己・万物一如の無辺際のありようである。
(「尽十方」といふは、逐物為己、逐己為物
《物を逐ひて己と為し、己を逐ひて物と為す》の未休なり。)
人情が生ずると智慧が隔たるのを隔と言うのは、顔の向きを換えただけで、本来の面目(一顆明珠)は少しも変わらないのである。
(情生智隔《情生ずれば智隔たる》を隔と道取する、これ回頭換面なり、展事投機なり。)
〔僧が人情と智慧を分別して「情生智隔」と自己の見処を展ノべれば、
師は「隔」と言って教えを垂れるのである。
人情と智慧は別物でなく、ともに尽十方であり一顆明珠である。〕
万法を逐えば自己となり、自己を逐えば万法となるから、
自己・万法一如の無辺際である尽十方なのである。
(逐己為物のゆゑに未休なる尽十方なり。)
「尽十方世界是一顆明珠」は、機先(はたらきが起こる前)の道理であるから、
どんな機要(はたらきのもっとも肝心なところ)も手に余るのである。
(機先の道理なるゆゑに機要の管得にあまれることあり。)
合掌
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