〔『正法眼蔵』原文〕 「是 ゼ 一顆珠」は、いまだ名にあらざれども道得なり、 これを名に認じきたることあり。 一顆珠は、直須万年 ジキシュバンネン なり。 亙古未了 カンコミリョウ なるに、亙今到来 カンコントウライ なり。 身今 シンコン あり、心今 シンコン ありといへども明珠なり。 彼此 ヒシ の草木 ソウモク にあらず、乾坤 ケンコン の山河 サンガ にあらず、明珠なり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 「この一個の明珠」は、元来名のつけようがないものだが、 玄砂の道力によってしばらく一個の明珠という名になって表れたものであるから、分別で理解するのではなくただ一個の明珠と直下に認得するばかりなのである。 (「是 ゼ 一顆珠」は、いまだ名にあらざれども道得なり、これを名に認じきたることあり。) 一個の明珠は、古今ぶっ通しで不生不滅である。 (一顆珠は、直須万年 なり。) 古 イニシエ が未だ了 オワ らないうちにすでに今が到来して、 常に一個の明珠なのである。 (亙古未了 なるに、亙今到来なり。) 今の身心が古となり今となりあらゆるものになるといっても、 みな一個の明珠なのである。 (身今 あり、心今ありといへども明珠なり。) あちこちの草木も天地も山河も、みな明珠なのである。 (彼此 の草木 にあらず、乾坤 の山河 にあらず、明珠なり。) 合掌 『第七一顆明珠』第四段2b 聞書抄〔一個の明珠は、古今ぶっ通しで不生不滅である〕 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。 ↓ ↓ にほんブログ村