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正3-9-1①『第三仏性』第九段その1①〔潙山は「一切衆生は無仏性である」と言う〕

〔『正法眼蔵』本文〕

大潙山ダイイサン大円禅師、あるとき衆にしめしていはく、「一切衆生無仏性」。


これをきく人天のなかに、よろこぶ大機ダイキあり、驚疑キョウのたぐひなきにあらず。


釈尊説道は「一切衆生悉有仏性」なり、大潙の説道は「一切衆生無仏性」なり。


有無の言理、はるかにことなるべし、道得の当否、うたがひぬべし。


しかあれども、「一切衆生無仏性」のみ仏道に長なり。



〔抄私訳〕

・仏の言葉は「一切衆生悉有仏性」であり、塩官は「一切衆生有仏性」であり、

今の大潙は「一切衆生無仏性」である。これは、一般に有無の言葉を心得るのとは、大いに異なり水と火ほどの違いがある。仏は既に「悉有仏性」〈すべては仏性〉と言われ、この道理は明らかであるから、この「一切衆生無仏性」の言葉は、ほとんど無意味なものになるだろう。


ただ、祖門で使う有無の言葉は、今更驚くまでもない。 つまるところ、「有」の語で仏性を表し、「無」の語で仏性を表すので、このように言うのは至極当然のことなのである。 


ところが、一般には、「有仏性」は信じられても、「無仏性」の言葉は驚き疑われるであろう。だから、「よろこぶ大機あり、驚疑のたぐひなきにあらず」と釈されるのである。「よろこぶ大機」とは、祖門以外の者ではきっと稀であろう。確かに、釈尊が説かれた「悉有仏性」と大潙の「無仏性」では「有無の言理」がはるかに異なり、「道得の当否、うたがひぬべき」ことである。


・ただ、「しかあれども、一切衆生無仏性のみ仏道に長なり」と云々。これは、大潙の「無仏性」の言葉を讃嘆されるのである。釈尊の「悉有仏性」の道理を受けて、その理が響くところから、今の「無仏性」の言葉も出てきたのであるが、この「無仏性」の言葉が、現に強く理の現れているところを讃嘆されるのである。



〔『正法眼蔵』私訳〕

大潙山大円(潙山霊祐レイユウ禅師が、ある時大衆ダイシュに法を説いて、

「一切衆生は無の仏性である」と言った。(大潙山大円禅師、あるとき衆にしめしていはく、「一切衆生無仏性」。)


これを聞く人間界・天上界の中には、喜ぶすぐれた修行者もいるが、

驚き疑う連中もいないわけではない。(これをきく人天のなかに、よろこぶ大機ダイキあり、驚疑キョウギのたぐひなきにあらず。)


釈尊は、「一切衆生は悉有仏性である」と説くが、潙山は「一切衆生は無仏性である」と説く。(釈尊説道は「一切衆生悉有仏性」なり、大潙の説道は「一切衆生無仏性」なり。)


釈尊の悉有と潙山の無とは言葉の道理が遥かに異なるから、

言い得たことが当を得ているかどうか、疑うのも無理がないだろう。(有無の言理、はるかにことなるべし、道得の当否、うたがひぬべし。) 


そうであるが、「一切衆生無仏性」だけが仏道で勝れているのである。

(しかあれども、「一切衆生無仏性」のみ仏道に長なり。)


                             合掌


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