〔『正法眼蔵』本文〕 六神通 ロクジンツウ はただ阿笈摩教 アギュウマキョウ にいふ六神通にあらず。 六といふは、前三三後三三を六神通波羅蜜といふ。 〔抄私訳〕 ・この「六神通はただ阿笈摩教 アギュウマキョウ にいふ六神通にあらず」 (六神通力は阿含経で説く神通力ではない) と言う。いかにもその根拠がある。「阿笈摩教」とは小乗の 阿含経 アゴンキョウ である。小乗の六神通と、この六神通と、どうして同じであろうか。ただ仏性を「六神通」と説くだけなのである。 ・「前三三後三三を六といふ」とあるので、普通の数のように思われるが、宗門で説く「前三々後三々」は、決して数量ではない。例えば、尽十方界を「前三々後三々」と言い、仏性を「前三々後三々」と言うのである。この六神通の六も、このように理解すべきである。 〔聞書私訳〕 /「六神通」の類に、三つの意がある。 /一つには、阿含経 (最古の仏教経典) に説く六神通であり、例えば、身の上より火を出し身の下より水を出すなどと言う。 /二つには、「前三々後三々」と言うが、これは数を言うのではなく、際限がない「前三々後三々」であり、仏法で取り上げるところである。 /三つには、「明々百草頭・明々祖師意と参究する事なかれ」と言う。先の「前三々後三々」は仏法の言葉であるけれども、やはり「三」の字を挙げるので数だと思われる。「前三々後三々」は合わせれば六とも言えそうであるから、当分の間は用い難い。 /前も三々と言えば六だと思われる。六は前にもあり後ろにもあり、前後を合わせても六である。もっともこれは、数の話しではなく、際限が無いということである。 〔『正法眼蔵』私訳〕 六神通力は、阿含経 アゴンキョウ に説く六種の神通力ではない。 (六神通 ロクジンツウ はただ阿笈摩教 アギュウマキョウ にいふ六神通にあらず。) 六というのは、午前にも三つ三つと際限なくあり、午後にも三つ三つと際限なくある私達の日常生活のはたらきを、六種の際限ない神通力のはたらきというのである。 (六といふは、前三三後三三を六神通波羅蜜といふ。) 合掌 ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。 合掌 ↓