〔『正法眼蔵』原文〕
生死去来は光明の去来コライなり。
超凡越聖は、光明の藍朱ランシュなり。
作仏作祖は、光明の玄黄ゲンオウなり。
修証はなきにあらず、光明の染汚ゼンナなり。
草木牆壁ショウヘキ、皮肉骨髄、これ光明の赤白シャクビャクなり。
烟霞エンカ水石スイシャク、鳥道玄路、これ光明の廻環カイカンなり。
自己の光明を見聞するは、値仏チブツの証験なり、見仏の証験なり。
尽十方界は是自己なり。是自己は尽十方界なり。
廻避の余地あるべからず。
たとひ廻避の地ありとも、これ出身の活路なり。
而今ニコンの髑髏ドクロ七尺、すなはち尽十方界の形ケイなり、象ショウなり。
仏道に修証する尽十方界は、髑髏形骸ケイガイ、皮肉骨髄なり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
生まれたり死んだり去ったり来たりするのは、
光明が去ったり来たりするのである。
(生死去来は光明の去来なり。)
凡夫や聖者を超越するのは、光明の青や赤の彩イロドりである。
(超凡越聖は、光明の藍朱なり。)
仏となり祖師となるのは、光明の黒や黄の彩りである。
(作仏作祖は、光明の玄黄なり。)
修証(修行即悟り)はないわけでなく、光明の汚染である。
(修証はなきにあらず、光明の染汚なり。)
草木や牆壁も、皮肉や骨髄も、みな光明の赤や白の彩りである。(草木牆壁、皮肉骨髄、これ光明の赤白なり。)
煙や霞も、水や石も、鳥道(鳥の行く道なき道)や玄路(相対を超えた奥深い境地へ導く道)も、みな光明のぐるぐる廻メグりである。
(烟霞水石、鳥道玄路、これ光明の廻環なり。)
自己の光明を見たり聞いたりするのは、
仏に出会った証しであり、仏になった証しである。
(自己の光明を見聞するは、値仏の証験なり、見仏の証験なり。)
〔第五十三『梅華』の巻に、「見仏といふは、作仏なり」とある。〕
尽十方界はこの自己であり、この自己は尽十方界である。
(尽十方界は是自己なり。)
回避しようとしても回避する余地はない。
(是自己は尽十方界なり。廻避の余地あるべからず。)
たとえ回避する余地があったとしても、それは全ての束縛を脱して悟りの境地に入る、進むべき仏道の道である。
(たとひ廻避の地ありとも、これ出身の活路なり。)
今のどくろの七尺の身が、
すなわち尽十方界の形であり、すがたである。
(而今の髑髏七尺、すなはち尽十方界の形なり、象なり。)
仏道で修証する尽十方界は、
どくろ骨格・皮肉骨髄のこの身のことである。
(仏道に修証する尽十方界は、髑髏形骸、皮肉骨髄なり。)
生まれたり死んだり去ったり来たりするのは、光明が去ったり来たりするのである『第十五光明』15-2-5b
合掌
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