〔『正法眼蔵』原文〕
しかありといへども、韓文公なほ仏書を見聞せざるところあり。
いはゆる「仏光非青黄赤白等ショウコウシャクビャクトウ」の道ドウ、
いかにあるべしとか学しきたれる。
卿もし青黄赤白をみて仏光にあらずと参学するちからあらば、
さらに仏光をみて青黄赤白とすることなかれ。
憲宗皇帝もし仏祖ならんには、かくのごとくの宣問ありぬべし。
〔『正法眼蔵』私訳〕
そうではあるが、文公はまだ仏書を十分見聞していないところがある。
(しかありといへども、韓文公なほ仏書を見聞せざるところあり。)
ここでいう「仏光は青黄赤白にあらず」という言葉を、
どのようなものであると学んできたのであろうか。
(いはゆる仏光非青黄赤白等の道、いかにあるべしとか学しきたれる。)
「貴公がもし青黄赤白を見て仏光ではないと参学する力があれば、
その上に、仏光を見て青黄赤白と見てはならない」。
(卿もし青黄赤白をみて仏光にあらずと参学するちからあらば、
さらに仏光をみて青黄赤白とすることなかれ。)
憲宗皇帝がもし仏祖であったならば、
このようなお尋ねがあったはずである。
(憲宗皇帝もし仏祖ならんには、かくのごとくの宣問ありぬべし。)
仏光を見て青黄赤白と見てはならない『第十五光明』15-2-3b
合掌
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