〔『正法眼蔵』原文〕
いまこの文公、これ在家の士俗なりといへども、
丈夫ジョウフの志気シイキあり。
回天転地の材といひぬべし。
かくのごとく参学せん、学道の初心なり。
不如是学フニョゼガクは非道なり。
たとひ講経して天花テンケをふらすとも、
いまだこの道理にいたらずは、いたづらの功夫なり。
たとひ十聖三賢ジュッショウサンゲンなりとも、
文公と同口ドウクの長舌を保任せんとき、発心なり修証なり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
今この文公は、在家の俗人であるけれども、
大丈夫(勝れた禅僧)の心意気がある。
(いまこの文公、これ在家の士俗なりといへども、丈夫の志氣あり。)
天子の御心をひっくり返すほどの力量のある人と言えよう。
(回天転地の材といひぬべし。)
このように「仏光は青黃赤白にあらず」と参学するのは、
仏道を学ぶ初心のところである。
(かくのごとく参学せん、学道の初心なり。)
このように学ばないのは、仏道ではない。
(不如是学は非道なり。)
たとえ仏典を講じ天から華が降るようなことがあっても、
まだこの道理に至っていなければ、役に立たない修行なのである。
(たとひ講経して天花をふらすとも、
いまだこの道理にいたらずは、いたづらの功夫なり。)
たとえ十聖三賢(上位の菩薩)の人であっても、文公と同じように「仏光は青黄赤白にあらず」という言葉を自己のものとして保持できたとき、
はじめて発心であり、修証なのである。
(たとひ十聖三賢なりとも、文公と同口の長舌を保任せんとき、発心なり修証なり。)
合掌
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