〔『正法眼蔵』原文〕
大宋国石門山の慧徹禅師は、梁山下の尊宿なり。
ちなみに僧ありてとふ、如何是シュオシ山中宝《如何ならんか是れ山中の宝》。
この問取の宗旨は、たとへば、「如何是仏シュオシブツ《如何ならんか是れ仏》」と問取するにおなじ、「如何是道」と問取するがごとくなり。
師いはく、空華従地発クウゲヂ゙ュウチホツ、蓋国買無門カイコクマイムモン
《空華地より発ヒラけ、蓋国買ふに門無し》。
この道取、ひとへに自余の道取に準的すべからず。
〔『正法眼蔵』私訳〕
大宋国石門山の慧徹禅師は、梁山縁観門下の尊宿(特に優れた有徳有道の僧)である。
(大宋国石門山の慧徹禅師は、梁山下の尊宿なり。)
ある時、僧が慧徹禅師に問う、「どのようなものが全世界の宝ですか」。
(ちなみに僧ありてとふ、「如何ならんか是れ山中の宝」》)
この問いの主旨は、例えば、「どのようなものが仏ですか」と問うのと同じであり、「どのようなものが道ですか」と問うようなことである。
(この問取の宗旨は、たとへば、「如何ならんか是れ仏」と問取するにおなじ、
「如何是道」と問取するがごとくなり。)
慧徹禅師が言う、「空華と地華は同じものであり、
国中まわって買おうとしても出入する門がない」。
(師いはく、「空華地より発け、国を蓋ふて買ふに門無し」。)
〔全世界が空華だから、どこにも空華を売買できる場所はない。〕
この言葉は、まったくこれ以外の言葉になぞらえることはできない。
(この道取、ひとへに自余の道取に準的すべからず。)
合掌
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