〔『正法眼蔵』原文〕
このゆゑに、瑯椰山ロウヤサン広照大師いはく、
「奇哉十方仏、元是眼中花。
《奇なる哉カナ十方仏、元より是れ眼中花なり。》
欲識眼中花、元是十方仏。
《眼中花を識シらんと欲オモはば、元モト是れ十方仏なり。》
欲識十方仏、不是眼中華。
《十方仏を識らんと欲はば、是れ眼中華にあらず。》
欲識眼中花、不是十方仏。
《眼中花を識らんと欲はば、是れ十方仏にあらず。》
於此明得、過在十方仏。
《此に於て明得ミントクすれば、十方仏に過在す。》
若未明得、声聞作舞、独覚臨粧
《若し未だ明得せずは、声聞作舞サブし、独覚臨粧リンショウす》」。
〔『正法眼蔵』私訳〕
このために、瑯椰山の広照大師が言う、
「不思議なことだな、十方の仏はもともと眼中の花である。
(このゆゑに瑯椰山広照大師いはく、「奇なる哉十方仏、元より是れ眼中の花なり」。)
眼中の花を識シりたいと思うなら、もともとこれは十方の仏である。
(眼中の花を識らんと欲はば、元是れ十方仏なり。)
十方の仏を識りたいと思うなら、
これは眼中の花ではない〔、十方の仏だけである〕。
(十方仏を識らんと欲はば、是れ眼中華にあらず。)
〔仏に徹底すると眼中の花はない。〕
眼中の花を識りたいと思うなら、
これは十方の仏ではない〔、眼中の花だけである〕。
(眼中花を識らんと欲はば、是れ十方仏にあらず。)
〔眼中の花に徹底すると仏はない。〕
ここにおいて明らめることができれば、
自己が十方の仏になっているのである。
(此に於て明得すれば、十方仏に過在す。)
もしまだ明らめることができないなら、
仏の声聞が舞い、仏の独覚が歌うであろう。
(若し未だ明得せずは、声聞作舞し、独覚臨粧す。)
十方の仏はもともと眼中の花である『第十四古鏡』14-6-2b
合掌
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