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優鉢羅華が一面に開花する時と処とは、火の中と火の時のようなものである『第十四空華』14-1-3a

 〔『正法眼蔵』原文〕

たとへば、優鉢羅華ウハツラゲの開敷カイフの時処は、火裏・火時なるがごとし。


鑽火サンカ焔火みな優鉢羅華の開敷処なり、開敷時なり。


もし優鉢羅華の時処にあらざれば、

一星火イッセイカの出生するなし、一星火の活計なきなり。


しるべし、一星火に百千朶ダの優鉢羅花ありて、

クウに開敷し、ヂに開敷するなり。


過去に開敷し、現在に開敷するなり。


火の現時現処を見聞するは、優鉢羅花を見聞ケンモンするなり。


優鉢羅華の時処をすごさず見聞すべきなり。



〔『正法眼蔵』私訳〕

例えば、優鉢羅華(3千年に一度開花する華)が一面に開花する時と処は、

火の中と火の時のようなものである。

〔たとへば、優鉢羅華の開敷の時処は、火裏・火時なるがごとし。〕


火を鑽るところに火が出るのは、

みな優鉢羅華(空華)が現成する処であり、現成する時である。

〔鑽火焔火みな優鉢羅華の開敷処なり、開敷時なり。〕


もし優鉢羅華が現成する時と処でなければ、

一星火仏の知見)が生じることはなく、

一星火仏の知見)のはたらきはないのである。

〔もし優鉢羅華の時処にあらざれば、一星火の出生するなし、一星火の活計なきなり。〕


知るといい、この一星火仏の知見)に百千の枝の優鉢羅華(空華)

空に咲き乱れ、地一面に開花するのである。

〔しるべし、一星火に百千朶の優鉢羅花ありて、空に開敷し、地に開敷するなり。〕


過去に開花し、現在に開花するのである。

〔過去に開敷し、現在に開敷するなり。〕


(仏の知見)が現成する時と処を見聞するのは、

優鉢羅花空華)を見聞するのである。

〔火の現時現処を見聞するは、優鉢羅花を見聞するなり。〕


優鉢羅花空華)が開花する時と処を見過ごさず見聞すべきである。

〔優鉢羅華の時処をすごさず見聞すべきなり。〕




                      合掌



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