〔『正法眼蔵』原文〕
光色コウシキの尋処ジンショは、この参学なるべきなり。
結果任你ジンジ結果なり、自然成ジネンジョウをいふ。
「自然成」といふは、修因感果なり。
公界クガイの因あり、公界の果あり。
この公界の因果を修シュし、公界の因果を感ずるなり。
「自」は己コなり、己は必定ヒツジョウこれ你ナンジなり、
四大五蘊をいふ。
使得無位真人のゆゑに、われにあらず、たれにあらず。
このゆゑに不必なるを「自」といふなり。
「然ネン」は聴許チョウコなり。
「自」「然」「成」すなはち華開結果の時節なり、
「伝法救迷」の時節なり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
空華(空として存在する真実の存在)の光明・色・形を尋ねるところは、
この一華開五葉(如来の現成は森羅万象である)という参学なのである。
〔光色の尋処は、この参学なるべきなり。〕
菩提心が起り修行し、結果は汝の結果に任せる(仏は仏に成る)のであり、これを自然に成ると言う。
〔結果任你結果なり、自然成をいふ。〕
「自然に成る」とは、
空華になるべき因を修して空華の果を感得することである。
〔「自然成」といふは、修因感果なり。〕
つまり私を挟む余地がない修因があり、
私を挟む余地がない感果があるのである。
〔公界の因あり、公界の果あり。〕
この私を挟む余地がない因果を修行し、
私を挟む余地がない因果を感得するのである。
〔この公界の因果を修し、公界の因果を感ずるなり。〕
自然に成るの「自」とは、己オノレであり、己は必ず汝であり、
四大五蘊(身心の四つの構成要素と五つの働きの集まり)のことである。
〔「自」は己なり、己は必定これ你なり、四大五蘊をいふ。〕
無位の真人シンニン(凡聖迷悟を超越し、何ものにもとらわれない解脱した人)を使いこなすから、吾でも、汝でも、誰でもないのである。
〔使得無位真人のゆゑに、われにあらず、たれにあらず。〕
このために、何とも決めようがない(不必)ことを、
「自」と言うのである。
〔このゆゑに不必なるを「自」といふなり。〕
自然に成るの「然ネン」は、修因感果で法の道理に叶っている所を許すことである。
〔「然」は聴許なり。〕
「自」「然」「成」は、空華が開き果を結ぶ時節であり、
「法を伝え迷っている人を救う」時節である。
〔「自」「然」「成」すなはち華開結果の時節なり、「伝法救迷」の時節なり。〕
合掌
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