〔『正法眼蔵』原文〕
僧のいはく「為什麼絶気者不著イシモゼッキシャフヂャク」は、
あやまりて疑著の面目なりといふとも、是什麼心行ゼシモシンギョウなるべし。
従来疑著這漢ジュウライギジャクシャカンなるときは、
従来疑著這漢に相見するのみなり。
什麼処在に為什麼絶気者不著なり。
為什麼不宿死屍なり。
這頭シャトウにすなはち既是包含万有、為什麼絶気者不著なり。
しるべし、包含は著にあらず、包含は不宿なり。
万有たとひ死屍なりとも、不宿の直須万年なるべし。
不著の這老僧一著子ジャクシなるべし。
〔『正法眼蔵』私訳〕
僧が、「どうして息の絶えた者を海の中にとどめないのですか」と言ったのは、間違って疑ったように見えるが、すべてのものは何としても心行、
つまり仏性の大海(海印三昧)だと言うのである。
〔僧のいはく「為什麼絶気者不著」《何としてか絶気者不著なる》は、
あやまりて疑著の面目なりといふとも、是什麼心行なるべし。〕
どこか違う漢(男)だと思った時は、
正にその漢に相見しているのである。
〔従来疑著這漢なるときは、従来疑著這漢に相見するのみなり。〕
何の処在(仏性の大海)に、何としても息の絶えた者をとどめないのである。
〔什麼処在に為什麼絶気者不著なり。〕
何としても屍をとどめないのである。
〔為什麼不宿死屍なり。〕
ここはすでに包含万有(森羅万象の全体)であり、
何としても息の絶えた者をとどめないのである。
〔這頭にすなはち既是包含万有、為什麼絶気者不著なり。〕
〔法界に死人というものはないのである。〕
知るといい、包含は著(とどめること)でなく、
包含は不宿(とどめないこと)である。
〔しるべし、包含は著にあらず、包含は不宿なり。〕
森羅万象はたとえ屍であっても、いつまでも屍をとどめないのである。
〔万有たとひ死屍なりとも、不宿の直須万年なるべし。〕
あらゆることはとどまることのないこの老僧(仏祖)の一手である。
〔不著の這老僧一著子なるべし。〕
どうして息の絶えた者を、海の中にとどめないのか『第十三海印三昧』13-13-1b
合掌
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