〔『正法眼蔵』原文〕
たとへば、多福一叢竹ソウチクを道取するに、「一茎両茎曲イッキンリョウキンキョク」なり。
「三茎四茎斜」なるも、万有を錯失せしむる行履なりとも、
なにとしてかいまだいはざる、千曲万曲なりと。
なにとしてかいはざる、千叢万叢なりと。
一叢の竹、かくのごとくある道理、わすれざるべし。
曹山の「包含万有」の道著、すなはちなほこれ万有なり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
それをたとえてみれば、多福和尚が一つの竹林のことを言うのに、
「一二本曲がっている竹林も、仏性の大海だ」と言うようなことである。
〔たとへば、多福一叢竹を道取するに、「一茎両茎曲」なり。〕
「三四本斜めになっている竹林も、仏性の大海だ」というのも、
万有を残さずみな仏性の大海の中に入れてしまったけれども、
どうしてまだ幾千万の曲がった竹と言わないのか。
どうして幾千万の竹林と言わないのか。
〔「三茎四茎斜」なるも、万有を錯失せしむる行履なりとも、なにとしてかいまだいはざる、千曲万曲なりと。なにとしてかいはざる、千叢万叢なりと。〕
〔一二三四の数字にとらわれてはならないから、このように言うのである。〕
一つの竹林にこのような道理があることを、忘れてはならない。
〔一叢の竹、かくのごとくある道理、わすれざるべし。〕
曹山が「包含万有」と言ったのは、実に包含万有(森羅万象の全体)なのである。
〔曹山の「包含万有」の道著、すなはちなほこれ万有なり。〕
〔よくぞ言い得たものだと曹山の言葉を讃嘆される。)
合掌
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