〔『正法眼蔵』原文〕
すでに前法の滅なり、後法の滅なり。
法の前念なり、法の後念なり。
為法の前後法なり、為法の前後念なり。
不相待は為法なり、不相対は法為なり。
不相対ならしめ、不相待ならしむるは八九成の道得なり。
滅の四大五蘊を手眼とせる、拈あり收あり。
滅の四大五蘊を行程とせる、進歩あり相見あり。
このとき、通身是手眼、還是不足なり。
遍身是手眼、還是不足なり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
すでに前の法の滅であり、後の法の滅である。
(すでに前法の滅なり、後法の滅なり。)
法の前念であり、法の後念である。
(法の前念なり、法の後念なり。)
法の為の前後の法であり、法の為の前後の念である。
(為法の前後法なり、為法の前後念なり。)
相い待いしないのは法の為であり、
相い対いしないのは法の為である。
(不相待は為法なり、不相対は法為なり。)
相い対しないようにし、相い待しないようにすることは、
仏法の道理を充分に説いているのである。
(不相対ならしめ、不相待ならしむるは八九成の道得なり。)
滅の四大五蘊(身心の全て)を無量無辺の功徳として、
四大五蘊の取り上げ手放すのである。
(滅の四大五蘊を手眼とせる、拈あり收あり。)
滅の四大五蘊を道のりとして、
滅の進歩することがあり滅に相見することがあるのである。
(滅の四大五蘊を行程とせる、進歩あり相見あり。)
このとき、体中が手眼と言っても、まだ足りず、
全身が手眼と言っても、まだ足りないのである。
(このとき、通身是手眼、還是不足なり。遍身是手眼、還是不足なり。)
すでに前の法の滅であり、後の法の滅である『第十三海印三昧』13-8-3b
合掌
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