〔『正法眼蔵』原文〕
古仏いはく、「忽然火起コツネンカキ」。
この起の相待にあらざるを、「火起」と道取するなり。
古仏いはく、「起滅不停時如何」《起滅不停の時如何》。
しかあれば、起滅は我々起、我々滅なるに不停なり。
この不停の道取、かれに一任して弁肯すべし。
この起滅不停時を仏祖の命脈として断続せしむ。
起滅不停時は是誰起滅ゼスイキメツ《是れ誰が起滅ぞ》なり。
是誰起滅は、応以此身得度者なり、即現此身なり、而為説法なり。
過去心不可得なり、汝得吾髄なり、汝得吾骨なり、是誰起滅なるゆゑに。
〔『正法眼蔵』私訳〕
古仏は言う、「忽然と火が起こる」と。
(古仏いはく、「忽然火起」。)
この起が滅に対するのではないことを、「火が起こる」と言うのである。
(この起の相待にあらざるを、「火起」と道取するなり。)
古仏は言う、「起滅が停まらない時は、どうか」。
(古仏いはく、「起滅不停時如何」《起滅不停の時如何》。)
そうであれば、起滅は我は我が起こり、我は我が滅して停まらないのである。
(しかあれば、起滅は我々起、我々滅なるに不停なり。)
この停まらないと言ったことを、起滅に任せて仏道修行に精進すべきである。
(この不停の道取、かれに一任して弁肯すべし。)
〔そうすれば、起時はただ起のみ、滅時はただ滅のみで、決して相対しないことが分かるであろう。〕
この起滅が停まらない時を仏祖の生命として断続させていくのである。
(この起滅不停時を仏祖の命脈として断続せしむ。)
起滅が停まらない時は、これは誰が起滅するのかと問うのである。
(起滅不停時は是誰起滅ゼスイキメツ《是れ誰が起滅ぞ》なり。)
〔起滅の法(ありよう)があるだけで、起滅にわたる者はいないのである。〕
これは誰が起滅するのかと問うことは、まさにこの身をもって救う者には、
即この身を現して、法を説くということである。
(是誰起滅は、応以此身得度者なり、即現此身なり、而為説法なり。)
過去・現在・未来の心は不可得であり(認識の対象ではなく)、
汝は吾が髄(仏法の真髄)を得、汝は吾が骨を得るのである、
誰も起滅にわたる者がいないからである。
(過去心不可得なり、汝得吾髄なり、汝得吾骨なり、是誰起滅なるゆゑに。)
起滅が停まらない時を仏祖の生命として断続させていく『第十三海印三昧』13-7b
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