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これは自分の考えに滞った様子ではない『第十三海印三昧』13-10-3a

 〔『正法眼蔵』原文〕

たれかこれを滞水の行履アンリなりといはん。


ただ仏道の剤限ザイゲンに現成するのみなり。


これを印水の印とす。


さらに道取す、印空の印なり。


さらに道取す、印泥インデイの印なり。


印水の印、かならずしも印海の印にはあらず、

向上さらに印海の印なるべし。


これを海印といひ、水印といひ、泥印といひ、心印といふなり。


心印を単伝して印水し、印泥し、印空するなり。




〔『正法眼蔵』私訳〕

これは自分の考えに滞った様子ではない。

(たれかこれを滞水の行履なりといはん。)


ただ仏道の究極がここに現成するだけなのである。

(ただ仏道の剤限に現成するのみなり。)


これを水に跡を残すと言う。

(これを印水の印とす。)


更に空に跡を残すと言う。

(さらに道取す、印空の印なり。)


更に泥に跡を残すと言う。

(さらに道取す、印泥の印なり。)


水に跡を残すのは、必ずしも海に跡を残すのとは違う、

もっと言えばさらに海に跡を残すのである。

(印水の印、かならずしも印海の印にはあらず、向上さらに印海の印なるべし。)


これを海に跡を残すと言い、水に跡を残すと言い、

泥に跡を残すと言い、心に跡を残すと言うのである。

(これを海印といひ、水印といひ、泥印といひ、心印といふなり。)


心に跡を残すことを自らが自らに伝えて、

初めて水に跡を残し、泥に跡を残し、空に跡を残すのである。

(心印を単伝して印水し、印泥し、印空するなり。)




                         合掌


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