〔『正法眼蔵』原文〕
たれかこれを滞水の行履アンリなりといはん。
ただ仏道の剤限ザイゲンに現成するのみなり。
これを印水の印とす。
さらに道取す、印空の印なり。
さらに道取す、印泥インデイの印なり。
印水の印、かならずしも印海の印にはあらず、
向上さらに印海の印なるべし。
これを海印といひ、水印といひ、泥印といひ、心印といふなり。
心印を単伝して印水し、印泥し、印空するなり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
これは自分の考えに滞った様子ではない。
(たれかこれを滞水の行履なりといはん。)
ただ仏道の究極がここに現成するだけなのである。
(ただ仏道の剤限に現成するのみなり。)
これを水に跡を残すと言う。
(これを印水の印とす。)
更に空に跡を残すと言う。
(さらに道取す、印空の印なり。)
更に泥に跡を残すと言う。
(さらに道取す、印泥の印なり。)
水に跡を残すのは、必ずしも海に跡を残すのとは違う、
もっと言えばさらに海に跡を残すのである。
(印水の印、かならずしも印海の印にはあらず、向上さらに印海の印なるべし。)
これを海に跡を残すと言い、水に跡を残すと言い、
泥に跡を残すと言い、心に跡を残すと言うのである。
(これを海印といひ、水印といひ、泥印といひ、心印といふなり。)
心に跡を残すことを自らが自らに伝えて、
初めて水に跡を残し、泥に跡を残し、空に跡を残すのである。
(心印を単伝して印水し、印泥し、印空するなり。)
合掌
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