〔『正法眼蔵』原文〕
「不対縁而照フタイエンニショウ」。
この「照」は照了の照にあらず、霊照にあらず、「不対縁」を照とす。
照の縁と化ケせざるあり、縁これ照なるがゆゑに。
不対といふは、遍界不曽蔵ヘンカイフソンゾウなり、破界不出頭なり。
微なり、妙なり、回互不回互エゴフエゴなり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
「縁(心に縁ずる現象)に対さずに照らす」と宏智禅師は言う。
(「不対縁而照」《縁に対せずして照らす》)
〔普通は、向こうに物がありこちらに自分がいて、その対象に感覚器官が触れると物が見えると理解しているが、今は「縁に対さずに照らす」と言うのである。〕
この「照」は照らす対象があって照らし尽くす照ではなく、神変などによって照らす照でもない。向こうとこちらという区別が無い様子を照とするのである。
(この「照」は照了の照にあらず、霊照にあらず、「不対縁」を照とす。)
向こうの様子をこちらが見ているということが起きないのである、向こうの様子がこちらの様子であるからである。
(照の縁と化せざるあり、縁これ照なるがゆゑに。)
対するものがないというのは、全世界は何も隠さずすべて明らかに現れており、世界を破って頭を出す何もないということである。(不対といふは、遍界不曽蔵なり、破界不出頭なり。)
我々が生きている様子は、微妙であり、絶妙であり、
どんどん変化しているが先程の様子はどこにもないのである。
(微なり、妙なり、囘互不囘互なり。)
合掌
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