〔『正法眼蔵』原文〕
あるとき、あまねく諸方を参徹せんために、
嚢ノウをたづさへて出嶺シュツレイするちなみに、
脚指キャクシを石に築著チクヂャクして、
流血し、痛楚ツウソするに、
忽然コツネンとして猛省していはく、
「是身非有ゼシンヒウ、痛自何来ツウジガライ
《是の身有ウに非ず、痛み何れよりか来れる》」。
すなはち雪峰にかへる。
雪峰とふ、
「那箇是備頭陀ナコゼビズダ《那箇か是れ備頭陀》」。
玄砂いはく、
「終不敢誑於人シュウフカンオウオニン《終に敢へて人を誑タブラかさず》」。
このことばを雪峰ことに愛していはく、
「たれかこのことばをもたざらん、
たれかこのことばを道得せん」。
雪峰さらにとふ、「備頭陀なんぞ徧参ヘンザンせざる」。
師いはく、
「達磨不来東土、二祖不往西天サイテン
《達磨東土に来らず、二祖西天に往かず》
といふに、雪峰ことにほめき。
〔『正法眼蔵』私訳〕
ある時、広く諸方の善知識をたずねて修行の徹底を計ろうと、
袋を携えて山を下ったときに、
脚の指を石にぶつけて、出血し、ひどく痛んだとき、
にわかに猛省して言った、
「この身は有るのではないのに、この痛みはどこから来るのか」と。
(あるとき、あまねく諸方を参徹せんために、嚢をたづさへて出嶺するちなみに、
脚指を石に築著して、流血し、痛楚するに、忽然として猛省していはく、
「是身非有、痛自何来《是の身有に非ず痛み何れよりか来れる》」。)
〔「ア痛ッ!一体何ものがこのように痛むのか」と、
天地法界を見渡すとすべてが一個の明珠であることをしっかり自覚し、
もうこれで大安心だ、もう遍歴する必要はないと自認した。〕
〔注:〔 〕内は訳者の補足〕直ちに師匠の雪峰のもとに帰った。
(すなはち雪峰にかへる。)
雪峰は尋ねた、
「遍歴に出た備頭陀と帰って来た備頭陀と、
どちらが備頭陀(乞食コツジキ僧の備)か」と。
(雪峰とふ、「那箇是備頭陀《那箇か是れ備頭陀》」。)
玄砂は言った、
「まだ一度も人を誑タブラかしたことはありません」と。
(玄砂いはく、「終不敢誑於人《終に敢へて人を誑かさず》」。)
〔本来の面目が現前する時、法界に相手がいないから、
微塵も誑かすものがないのだ。〕
この言葉を雪峰は殊に気に入って言った、
「誰でもこの言葉を知っているが、この言葉を言えるものはいないのだ」。
(このことばを雪峰ことに愛していはく、
「たれかこのことばをもたざらん、たれかこのことばを道得せん」。)
雪峰はさらに問うた、「備頭陀、どうして遍参しないのか」。
(雪峰さらにとふ、「備頭陀なんぞ徧参ヘせざる」。)
玄砂が、
「達磨大師はシナに来られなかったし、
二祖慧可大師はインドに行かれませんでした」と言うと、
雪峰は、殊にこれを褒められた。
(師いはく、「達磨不来東土、二祖不往西天《達磨東土に来らず、二祖西天に往かず》といふに、
雪峰ことにほめき。)
〔真個の達磨・二祖に去来はない。真個の達磨はインドにすらいない。
ましてはるばるシナにまで来ることもないのである。〕
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